ネヘミヤ記6章

6章 毅然として取り組む

<要約>

おはようございます。神に信頼するめぐみの豊かさは教えられていても、そのように期待しきれずにいることはあるものでしょう。現実の厳しさを思う時に、神の御業を語ることの虚しさ、空々しさというものがあるものです。しかし、空回りしそうな心を、力づけ、守ってくださいと祈り、進むことに確かな祝福はあるのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.神ではない自分に弱さがある

城壁は門を修復するのみで完成に近づいていた。エルサレムの周りに住む敵対者たちは、何とか、この工事を中止させようと妨害の手を尽くしてきたが、城壁は、もう完成間近となっていた。するとアラブ人ゲシェムが、最後の手段と言わんばかりに、ネヘミヤを個人的に呼び出し、これを中止させる手段に出た。彼は、四度、会見の申し出をし、最後の申し出は、開封した手紙、つまり公開状の形で送られた。エルサレムでの工事は、ネヘミヤが王となり、ペルシヤに反逆する目的で行われている噂があり、その陰謀が広まる前に、話し合う必要があるというわけである。しかし、そのような根も葉もない噂にネヘミヤは動じない。ただネヘミヤは書いている。「ああ、今、私を力づけてください」(9節)ネヘミヤは、こうした根強い組織的な陰謀に、対処する知恵を求めたわけではない。また神風が吹いて、相手が打ち負かされることを求めたわけでもない。彼は神の勝利は確信していた。しかし、神がなさろうとしている事柄についていけない、人間の心の弱さが補われることを祈っている。全ては神の手中にあることだ。神が万物を支配し、維持ししておられる。そのお方が、私たちと共にあるとしたら、大切なのは、神の業がなされるまで私たちが待ち続けられるか否かにあるのだ。つまり、打たれ弱く、神の用に物事を見通せず、現実的に考え過ぎて、神の業をもはや信頼しきれない思いになる自分の弱さに負けてしまうのだ。「ああ、今、私を力づけてください」(9節)。何度でも神に心の内に叫び、神の力づけを得なくてはならない。

2.毅然と戦う

公開状が失敗したので、トビヤの発案によるものなのだろう、シェマヤは、ネヘミヤに暗殺の危険が迫っているので安全な隠れ家である神殿に引きこもるように勧めた。敵対者はさらに罠をけしかけて来た。祭司ではないネヘミヤが神殿の奥に隠れることは律法を犯す罪であるし、また、敵を恐れて身を隠すなど、神を信頼しない弱さ丸出しである。ネヘミヤはその提案をきっぱりと拒絶する。神の計画を曲げるために、敵がすることは指導者への攻撃の手を強めることだ。指導者が失脚すれば、全ての計画は阻止される。イエスもまた同じように攻撃された。パリサイ人がイエスを囲み、ヘロデがイエスを殺そうとしていることを伝え、恐れさせて、他の所へ逃げ出させようとしたことがある(ルカ13:31-33)。それに対してイエスは、恐れることなく、その提案を拒絶している。実に、「悪者は追われもしないのに逃げ回るが、神を畏れる人に怖いものはない(箴言28:1)」パウロも、自分の前途に苦難が待ち受けようとも、その進路を変えることはなかった(使徒20:22,23)。私たちは罪や誘惑からは遠ざからなければならないが、幾多の妨害によって、恐れ、萎えて、神のご計画から退くことがあってはならない。「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者」(ヘブル10:38)なのだ。

神は私たちが信じて命を保ち、勝利を手にすることを望んでおられる。こうして、毅然とした取り組みによって、城壁はついに52日で完成した。歴史家ヨセフォスによれば、2年4か月かかったとされる。ネヘミヤの出発は第二の月で、エルルは、第六の月である。エルサレム到着日数を考えれば、ネヘミヤの記録どおりで、まさに神の不思議な恵みと助けによって順調に完成したと考える方がよいだろう。神に心を力づけられて、ただ恵みにより頼む結果というものがある。

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