ヨブ記5章

5章 エリファズのことば2

<要約>

おはようございます。エリファズの弁明が続きます。彼のことばに耳を傾けながら、種々教えられるところです。ヨブ記が知恵文学と言う以上、この対話には、様々な意味で、人生を生き抜く知恵が語られているところがあります。熟読したいところでしょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.禍いの中にある罪人

エリファズの言い分は最もである。人は神の前に正しくはあり得ないのだから、神に裁かれるところがあって当然だ、と。神のなさることに異議を申し立て、憤ることは、全くもって知恵のないことで、それによって人生の終わりを早めるだけである。天の権力にはただ黙って従う方がよい、ということだろう(2節)。実際そのような愚か者は、もしかしたら一時的に成功を収め、根を張ることがあるかもしれない。しかし神によってたちまちその住まいを呪われる(3節)。その結果、ある日彼は突然人生を追い出され、残された家族をかばってやる人もいない。門は古代では裁判の場であったから、「門で押しつぶされた」(4節)は、生前彼から損害を受けた人たちが裁判を起こし、その家族たちがかばわれることもなく、皆、略奪されてしまうことを言っているのだろう。

要するに、不幸や災いは人間の罪の結果なのだから、激しく嘆いたり、神をのろったりするのは愚かなのである。そして人間が罪人である以上、その人生に悲惨が付きまとうのは、火花が上に向かって飛び散るのと同じくらい自然のことなのである、という(7節)。

2.神は物事を逆転させることがおできになる
ただエリファズはヨブを悪者としているわけではない。人間というのはそういうもなのだから、苦難を通じて神が何を教えているのかに耳を開かなくてはならない、という(8節)「私なら、自分のことを訴えるだろう」は、「私のことば(事柄)を神の前に置く」と直訳される。むしろ、自分を空しくして神のお裁きに一切をゆだねることを意味している。つまり、神を告発するようなことをせず、むしろ裁判官として神がお下しになる決定を謹んで待つことだ。

実際神のなさることを理解するがよい、とエリファズは一つのたとえを語る。神は大いなることをなさるお方である。だから貧しい借金を重ねた者が、神の恵みの雨により、良い収穫を得、その生活を安泰にすることが起こりうる。悪賢い金持ちは、良い収穫がなければ、この貧しい者の土地家屋を取り上げてやれと考えていたかもしれないが、その企みは見事に打ち砕かれ(12節)、突如終わってしまう。神は貧しい者を危機一髪の状況から救い出されるのだ(15節)。13節、「神は知恵のある者を、彼ら自身の悪巧によって捕え」は、パウロも引用したことばであり(1コリント3:19)その真理に間違いはない。合法的に貧しい者から土地も何もかも奪おうと画策していた金持ちは、もはや何も請求できず、臍を噛む。神がそのようにされるのだし、弱い者が望みを抱くことができるのは、まさにその故である(16節)。

3.神の叱責を受け入れよ

神は正しいことをなさるのだから、神の前に遜り、神の諭し得ることである、という。神は、ただ懲らしめているのではない、神は何かを教え諭しているのである。だから神は傷つけても、その傷を癒してくださるお方でもある(18節)。

エリファズはここで、その具体例としての数え歌を披露する。

一、日照り、不作の飢饉にあっても飢え死にすることはない。

二、戦乱の世であっても死を免れる(20節)

三、敵の中傷誹謗の中でも傷つけられることはない

四、将来をあれこれ恐れる必要もない(21節)

五、たとえ何かがあっても(破壊と飢饉)、笑い過ごすことができる

六、獰猛な野獣に襲われることもない(22節)

こうして六つの苦しみから神はあなたを救い出し、たとえさらに一つ追加された七つの苦しみであろうとも、同じこと、神の前に素直になって、神の訓戒を受け止める人の身に起こることはそういうことである、と言う。そしてさらに神はあなた自身を豊かに祝してくださるだろう。だから、大切なのは、神の試練を正しい態度で受け止めていくことなのだ、というわけだ。

エリファズの言うことは正しい。私も13年ある事柄を求めて祈り続けて、それが実った時に、それまでの自分の人生の軌跡を振り返って、何ともっとスマートな生き方をすればよかったか、と思ったことがあった。13年目にこうなるとわかっていれば、「武士は食わねど高楊枝」ではないが、試練の時にがたがたせず、そつなく物事を済ませていただろう、と思ったことがある。だが愚かかな、先を見通せない自分は、そうではなかったのだ。結局、結論を先取りすれば、ヨブは、神の権威に服して、神の裁可と配慮を待つべきであったことは確かなのである。そのような意味で、苦難にあっては自分を悪戯に責めることをせず、ただ、主の善意と誠実さに信頼し期待することが大事なのである。

 

 

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