詩篇17篇

17篇 耳に入れてくださる神

<要約>

おはようございます。神が私たちの叫びを耳に留め、祈りを耳に入れてくださる、その経験を積み重ねる、そして神の恵み深きことを味わい知る、それが、私たちの霊的な祝福であることを覚えたいものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.背景

「ダビデの祈り」と名付けられた詩篇(17、86、142篇)の最初のものである。この時、ダビデはマオンの荒野にいたとされる(1サムエル23:25)。ちょうどサウルがダビデとその部下を追跡し、捕えようと迫っていた時である。サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は、山の他の側を進み、間一髪で逃れた、その緊迫した状況にあって、ダビデはサウルからの救出を率直に祈っている。

2.正しい訴えを耳に入れてください

まず「主よ。聞いてください。正しい訴えを。」と祈り、自らの主張の正しさを訴えている。いかなる人間にも完璧な正しさはありえない(1ヨハネ1:8-10)。だから、ダビデは自分の現実に目をつぶって、自分の正しさを訴えているわけではない。ダビデが正しいというのは罪を犯していない、どんな罪からもクリーンだということではない。あれこれ罪は犯しているかもしれない。しかし、それらが思い出されるならば神に告白し赦しを受けている。神の前に良心を責められることのない歩みを心がけている、そのような意識の上で、今の自分の身に起こっている状況は受け入れがたい、というわけだ。「耳に留めてください、耳に入れてください」私の正しさではなく、私の正しい訴えを、というわけである。だからこそ「あなたは私をためされましたが、何も見つかりませ(3節)」と語ることができた。また、「人としての行いは、あなたの唇のことばに従い、無法者が行く道を避けました」と告白することができた。

3.神の愛への信頼

6節「神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。」ダビデは神に信頼する。だがより心を打つのは、ダビデの神の愛に対するダビデの信頼の深さだろう。いくつかのキーワードがある。「奇しい恵み」(7節)つまり、神の奇跡的な介入による救いを意味する。「恵み」は、神が契約に対して忠実であることを意味する。「瞳のように私を守り、御翼の陰にかくまってください」(8節)。神が愛情深く関わられることを意味する。ダビデは、神は愛なり、と訴えているのである。神は理性的な裁判官のように、白黒をはっきりさせて、白に軍配をあげるというのではなく、愛情をもって物事を見、必要な手立てをしてくださる人情味のあるお方である。ダビデは、その神が契約に忠実であり、奇跡的な介入と愛情を持って自分を救い出すことを求めているのである。

10節からしばらくダビデは、自分が置かれた状況を振り返っている。「高慢に語り」「跡をつけ」「取り囲み」「地に投げ倒そうとしている」「待ち伏せしている若い獅子」自分がいかに、弱く、ひねりつぶされそうな状況に置かれているかを理解し、そこから神の奇跡的な介入を求め、祈り込んでいる。「主よ。立ち上がり、彼の前に進み行き、打ちのめしてください。あなたの剣で、悪しき者から私のたましいを助け出してください。」(13節)。自分に勝ち目はないのだから、神が対戦してください、そして救い出してください、と自らの窮状と心情をありのままに訴えている。第二のものでも、第三のものでもなく、第一に必要なことを率直に祈っているのである。

神が介入してくださらなければ、というのも、その力の差は歴然としているからだ。「あなたの蓄えで、彼らの腹は満たされ、子たちは満ち足り、その余りを、さらにその幼子らに残します」あなたが彼らを祝されたので、財宝に富、子々孫々栄えているではないか、それが今の私は、何の蓄えもなく、野の屍となるかもしれない毎日だ、というわけだ。ヨブが言うように、神の決定が覆されなければ、救いはないのである。

だが、彼らの繁栄も、地上のことだけである。ダビデは、神の御顔を仰ぎ見、神の御姿を仰ぐことの喜びがあることを語っている。「目ざめる時」これは、復活のような何か特別な時を言っているわけではない。むしろ日々の目ざめ、日々の生活の中での目覚めを語っている。陰惨な脅かしがあっても、魂を凍らせるような追跡があっても、神の前に正しく歩み、遜って神を拝するときに、神の守りと祝福を味わうことを語っている。人生において、神を味わうことがなかったら、何と不幸なことか。今、受け入れがたい状況が起こっているとしても、神がこれをどのように導かれるのかを見ていくことが大切だ。神が「仕切りの岩」(1サムエル23:28)を設けられ、ダビデをサウルの追撃から守られたように、私たちの叫びを耳に留め、祈りを耳に入れてくださる神がおられることを、味わうのが、人の人生であり、人の人生の喜びである。ダビデのように祈ってみよう「主よ、立ち上がり、彼の前に進み行き、打ちのめしてください」と。

“詩篇17篇” への1件の返信

  1. 通読で 自分の正しさを訴えているようで ?でしたが、この学びで 罪を犯しているかもしれないが すぐに神に告白し許しを得ている確信の故の叫びに 目が開かれました。自分の正しさでなく、自分の主張の正しさですね。 ありがとうございました。

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