詩篇23篇

23篇 主は羊飼い

<要約>

おはようございます。23篇はよく愛唱される詩篇です。しかしそれは、22編からの続編というべき、メシヤ詩篇の一つと理解すべきでしょう。神がイエスと共にあり、イエスを最期まで導かれたことを覚えるべき大切な詩篇と言えます。そして同時に、イエスに起こったことは、私たちにも起こりうるのだと理解すべきものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.背景

よく愛唱される詩篇である。この詩編は2サムエル17:27-29を背景としている。アブシャロムの謀反の際に、ショビ、マキル、バルジライ等に食事を提供された時のことである。この出来事を通してダビデは神の配慮を学んだ。神が死の陰の谷を通り過ぎる時も、自らの道を守り、この苦難を乗り越えさせてくださる、と。その確信を詩にしたわけである。

だが、この詩篇は同時に、昨日も触れたことであるが、私たちのために死んでくださったイエスが、私たちのために生き、そして配慮してくださることを語るメシヤ詩篇の続編と考えられている。

2.導かれる神

「主は私を緑の牧場に伏させ」(2節)とあるように、主は、羊の群れの側に立って考え、働かれるお方である。だから、私たちが「主は私の羊飼い」という信仰に立つことができているなら、もはや明日のことを思い煩うこともないだろう。しかし実際には、その信仰に立てないでいるからこそ、あれこれくよくよ悩む。羊飼いが羊の必要とする牧草や水を見つけ、そこに導くことは当然のことなのに、神と私たちの間には薄い壁があったりするものである。この問題を乗り越えるには、やはり神に語られる他はない。神に語られる、落ち着いた、静かな時を持つのである。神が語られるまで、待ちうる余裕のある時を持つのだ。ノートとペンを持って学ぶというのではなく、ただ、神とよき時を過ごすのである。

2.いのちを与える神

神は、私たちのあらゆる必要を心配し、私たちのためにそれらを見つけ、養ってくださる。私たちが考える先に、私たちのための必要を理解し、一切のものを提供してくださろうとする。神は人生の山や谷の全てにおいて導きを与え、守りを与えられるお方である。

そして神は、私たちの物質的な必要(2節)はもちろんのこと、私たちの心の必要(3節)をも満たしてくださる。「たましいを生き返らせ」は、単なる元気の回復ではない。それは、「私を義の道に導かれます」と私たちを進むべき新しい使命へと導くものである。かつてイエスは、ニコデモに語られたことがあった。ニコデモは、果たして歳を重ねて老年になった自分がどのようにして新しく生まれることができるだろうか、と尋ねたが、イエスは、それは十字架によると語っている。その後にヨハネは、人生の方向性が変わった一人の女の例をあげている。サマリヤの女の例であるが、彼女はイエスがメシヤであると受け入れてから、全く、隠れるようにして生きていた人生から、公にメシヤを語り伝える人生へと導かれている。隠れるようにしてイエスに会いに来たニコデモも、イエスの十字架に際しては、自らその亡骸の処置を公衆の面前で行おうとした(ヨハネ19:39)。打ちしおれ、閉じこもったたましいを解放し、新しい神のご計画へと進ませてくださる神がいる。信仰というのは、たましいの解放であり、自由への招きである。勘違いした人生を歩んではならない。

4.死の影の谷を導く

さらに神は私たちの全生涯を導かれる。つまり危険にある時も、それこそ死の陰の谷を歩く時も、共にいて、支えてくださるお方である(4節)。しかも神である同伴者は、武装している。「むち」は守りのため、「杖」は統制のためである。神の道を歩み続けることは、しばしば困難に満ちている。人は神を信じていると口で言うほどに、神を信じていなかったりする。神を愛します。賛美しますと言うほどに人は神を愛しても賛美してもいない。ぶつぶつ子どもや伴侶に対する不満が出る。その同じ口で賛美を愛します、と言うのである。嘆かわしいほどの不信仰と、神に対する愛と喜びに欠如した現実があったりする。だがそれが罪人の現実なのだ。大切なのは、口先でいいことを言わず、謙虚に、信仰において訓練されることを求めていくことなのだろう。

「敵の前で、食事を整え」は、最悪の事態にあっても、神の可能性は豊かであることを示す。私たちに勝利以外の結果はありえない。5,6節はその勝利の祝いを先取りした様子を描いている(ローマ8:31-39)。苦難の先にある勝利は、聖書に繰り返し語られることである。神の道に生きる人生には、いのちの続く限り、神の変わらぬ愛、その変わらぬ親切と配慮、支えが満ち溢れている。だからこの詩篇を詠みつつ共に告白しよう。いのち続く限り、いつまでも、主と共に神の道に生きることを自らの志にしよう、と。

“詩篇23篇” への1件の返信

  1. 知り合いの牧師の証。 篤き信仰の父が 今わの際で、苦しそうな息に合わせて母が この個所を 暗唱し、家族も何度も繰り返した。その祈りに送られるよう父が安らかに御許に旅立った。  励まされました。

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