詩篇117篇

117篇 神の御国の実現

おはようございます。わずか2節の短い詩篇でありながら、聖書全体のメッセージを要約するような詩篇です。私たちが向かうべき目標(すべての人類が一つとなり主の栄光を称える)を示し、それがどのように(主のめぐみと誠実さを信頼する)達成されるかを語ります。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.文脈

わずか2節の詩篇であるが、その中身は、壮大である。「すべての国々よ、主をほめたたえよ。すべての国民よ、主をほめ歌え」宣教の究極的な目標が述べられている。ヨハネは、黙示録7:9-12において、終末の人類の姿を描いている。終末においては、「すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆」が集まり、神の前にひれ伏し、礼拝をささげる。キリストのもとに全人類が一つとされるのである。この詩篇は、わずか2節で、その壮大な光景の中心を描いている。

2.旧約聖書のビジョン

しかしそれは、どのようにして可能となりうるのか。そもそもの出発点は、創世記12:1-3のアブラハム契約にある。そして神がアブラハムと契約を交わされたのは、創世記1-11章に描かれた人類の堕落と罪によって、人類が神の呪いを受けて散らされた事実に基づいている。神はバベルの塔を築き連帯しようとする人類を散らされたが、それで終わりにすることはなかった。むしろアブラハムとアブラハムの子孫によって、人類を再び一つにする計画を明らかにされた。神はアブラハムに「地のすべての部族は、あなたによって祝福される」(創世記12:3)と語られたが、そこで言う祝福の意味は、物質的な繁栄ではなく、散らされた者が一つにされる祝福である。回復されたヨセフの物語は、その美しい具体的なイメージである。そして旧約聖書の歴史書は、その神に選ばれたイスラエルの民が、そのミッションにどう生きたかを記録する。だがそれは、まさに失敗の連続の記録である。彼らは、自分たちが神に選ばれた民であることを誇りとしたが、その祝福を分かち合うことに、失敗した。

3.新約聖書に引き継がれたビジョン

新約聖書の使徒パウロは、その問題を理解し、ユダヤ人に与えられた使命が、新しいイスラエル、いわゆるキリストを信じる者たちに与えられたことを明確にしている(ローマ9:6)。こうして新約聖書は、キリスト者を通して、散らされた者が罪から救い出され、一つにされるミッションがどのようになされうるかを記録している。

イエスが与えられた大宣教命令(マタイ28:18-20)、つまり全人類への宣教命令は、ただ単にキリスト信者の頭数を増やすものではない。それは、罪人を救い、それによってすべての部族をキリストの下に集めるものである。いみじくも大祭司カヤパが預言したように、キリストの十字架は、キリストにあって個々の魂が救われること、そのようにして散らされた者たちが一つとされる目的を持つものであった(ヨハネ11:15、52)。そこを押さえないと、キリスト者もまた旧約時代のユダヤ人と同じ過ちを繰り返すことになる。救われていない人を見下し、頭数を揃えることに熱心な教会となっていく。教会にとって大切なことは、ヨセフと兄弟たちの和解にあるように、愛に満ちた関係が建て上げられていくことである。

この詩篇をローマ15:11に引用したパウロは、人類の将来についてヨハネと同じイメージを持っている。やがて人類が一つとなり、キリストを神として褒め称える日が来ることを望み描いている。散らされたあらゆる民族が神の前にひれ伏し神を称え、永遠の平和を享受する壮大なビジョンがある。実に、この働きへと神の民は招かれている。もちろんこれを完成させるのは、人間の努力や熱心さではない。2節「主の恵みは私たちに大きい。主のまことはとこしえまで」とあるごとく、主のめぐみと、誠実さによる。私たちに期待されるのは、祈り、自らの救いとその恵みを証することである。

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