箴言8章

8章 知恵を求めよ

おはようございます。知恵を求めることが勧められます。その利益は、良き理解力と、公儀と、繁栄です。それほどに愛すべきものであると。知恵者ではなく、知恵そのものを求めていくことの祝福があります。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.知恵を求めよ

知恵は擬人化され、巷で人々に呼びかける声となっている。「金ではなく、私の訓戒を受けよ。えり抜きの黄金よりも知識を受けよ。知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これとは比べられないからだ」(10,11節)。知恵を得た時の喜びは大きい。それは、銀や黄金では得られない満足を与える。

というのも、知恵があれば、物事がよくわかり、思慮深く考え抜いて、正しい判断ができるからだ(6-9節)。知恵は高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれたことばを憎む。それは正義を貫く道である(15-16節)。だから、知恵ある王や裁判官は、正しく国を治めることができるだろう。つまり、知恵は、個人的な利得を助けるのではなく、公の義を実現するものである。さらに、知恵を愛するならば、かつてのソロモンがそうであったように繁栄と名誉、そして尽きることのない、豊かな富も与えられる(18,21節、1列王3章)。

このように、明晰さ、正義、富と三拍子そろった結果を生み出す知恵はどのようにして得られるのか。ただ愛し、追及し、熱心に探しだすことである(17節)。ヤコブも語る。「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます」(ヤコブ1:4)。ソロモンも神に知恵を願って、豊かに与えられた。神にえこひきはないのだから、神は私たちにも同じようにしてくださるだろう。大切なのは、知恵は、頭のよい者、弁えのある者をさらに賢い者にするのではない。弁えのない者、愚か者に思慮、分別を与える。そして、知恵自らこれを得るように呼びかけている(5節)。

2.知恵の起源

22節からは、その知恵の起源が語られる。知恵は大昔から、創造のはじめから神と共にあったことが語られている。元来この箇所は、三位一体の神諭、ことに御父と御子との関係を説明するものとして議論されてきた。しかし、この箇所の本来的な意図は、三位一体のキリストを指し示すことではなく、知恵の魅力を語ろうとするところにある。確かにパウロも、コロサイ人への手紙の中で、キリストに知恵と知識の宝のすべてが隠されていると語っており、キリストイコール知恵としているわけではない(コロサイ1:15-17、2:3)。著者は言う。知恵は、天地の初めに生み出された、と(24節)。知恵もまた人間と同じ被造物のようであるが、それは、創造の冠である人間に優るものである。それは神と共にあり、神の喜びであり、また人の喜びとなるものである。聖書は私たちに、知恵を語りかける。それは要領のよい者が得をする類のものではない。むしろ、私たちの人生を根底から支え、私たちの人生の土台を揺るがないものにする知恵である。知恵ある人生を歩ませていただこう。

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