エゼキエル書46章

46章 君主と礼拝の規定、料理場

おはようございます。新しい神殿での新しい役割と行動が、流れとして語られています。捕囚帰還後の新しい生活に対する希望のメッセージであり、心備えを与えるものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.神殿の新しい利用方法

「内庭の東向きの門」、つまり神殿の正門は、普段は閉じられていますが、週と月の最初の日に開放されます(1節)。そこで君主、また一般の人々が、それぞれささげ物を携えて礼拝をするわけですが、その際の出入りの方法が定められています。君主は、東門から入り、そこから出ていきます(8節)。しかし一般の民は、北から入った場合は南へ、南から入った場合は北へと整然と流れるように定められています(9節)。神殿の混雑を回避する意図があったのでしょう。これまでの文脈からすれば、新しい神殿の様式(40-42章)、新しい調度品(43章)、そこに仕える奉仕者の新しい役割(44章)、そして神殿の新しい利用方法(46章)、というわけでしょう。

そこで次に、神殿で献げるべきものが定められています(11-15節)。三種類あります。一つは、主要な祭りと安息日や新月の祭りでのささげ物(11節)、また毎日の朝のささげ物(13-15節)。そして君主によって献げられる定時以外、必要に応じて進んで献げられるささげ物です(12節)。興味深いのは、礼拝が、基本的に献げることとして語られていることでしょう。礼拝は、神の栄光を仰ぐと同時に、神に自分自身を献げる行為です。毎週、礼拝に集い、私たちは新しい献身を表明しているのです。しかしここでは、毎朝とありますから、朝毎に、新しい献身を表明して一日を始める、これが新しい捕囚後の読者に期待されたと言うべきでしょう。そして同じように、本書の読者である私たちにも期待されていることです。

2.君主のささげ物

また興味深いのは、君主が必要に応じて進んで献げるささげ物です。彼は交わりのいけにえを献げるように命じられていますが、それは、基本的に執り成しを目的とします。つまりいつでも彼は、とりなしの必要があれば、神殿に赴くことができました。彼のために東向きの門はいつでも開け閉めされたのです。

そこで16-18節、相続地を相続以外の形で譲渡することを禁止し、君主の財産相続は、身内のみに限られること、また君主も一般の人の土地を没収してはならないことが確認されますが、何か唐突な文脈のように感じられます。しかし、これは、とりなし手としての君主の役割を強調する意味があったのではないでしょうか。つまり、土地没収に関して思い出すのは、ナボテの事件(1列王21:1-29)。君主たるもの、民の権利を守るのみならず、民のために進んでとりなす、善良な民の管理人と言うべきでしょう。そのような意味で、現代的に適応すれば、牧師、教会役員は、常に教会の羊に気を配り、進んで神の前に出て、とりなしの祈りをする者であることを覚えたいところです。

3.神殿の聖性

19-24節は、神殿の構造を説明する補足のようで、祭司用(19、20)と一般用(21-24)の料理場が区別されていることを語っています。神殿には祭司だけが食べることのできるささげ物を料理する場と、一般の民が食べることのできるささげ物を料理する場が、別に設けられました。その目的は「民を聖なるものとしないためである」(20節)、つまり神殿の神聖性を意識し、強調するためでした。やはり、神殿は神のおられるところ、神の栄光の満ちるところ、人間の不注意や配慮の欠落によって、人間的な場に堕してしまうことのない心構えは重要です。罪深き者であることを覚えつつ、聖なる場に出ることが許されている幸いを肝に銘じて、まず朝毎にささげ物をもって、主にお仕えしたいものです。

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