ダニエル書12章

12章:終末の時

おはようございます。ダニエル書は、迫害下にあるキリスト者への励ましの書という性質が色濃く出てくる最終章です。主の安息に入る目標をはっきり持って歩みましょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.終末の出来事

ダニエルの幻は、彼の時代から未来に及ぶ神のご計画を語るものです。最後の12章は、さらなる終末の出来事を語っています。これまでにない苦難がやってくる。それは、神を信じる、信じないに関わらず皆に訪れる苦難です。しかし、神の民には救いがあると約束されています(1節)。また死人はよみがえり、裁きを受け、それぞれの定めにふるい分けられる、と言います(2節)。

明らかにヨハネが黙示録に描いた、第一の復活について語るものでしょう(黙示録20:5、6)。その時に、「賢明な者たち」つまり、信仰によってこの時代の動きを正しく洞察し、時に備える人々は、「大空の輝きのように輝く」。早朝、朝焼けではない、まさに日が輝く大空というものがあるものです。何か心がすっきり洗われ、いのちを与えられる、そんなイメージの空。賢明に生きたが故の輝きがあるのです。しかし、11:35によれば、その時代は、「賢明な者たち」ですら、悪の力にねじ伏せられ、神に見捨てられたような人生を強いられることがあります。もちろん、その苦難は聖めの目的をもったものですから、やがて受ける報いは大きいものがあります。そして3節後半は、信仰を守るのみならず、むしろ機を生かして福音を語り、神に人々を結びつける働きの報いの大きさを語っています。このことばをもって慰めとし、今日も、宣教に力を入れたいところではないでしょうか。

2.一時と二時と半時である

さて、5節から最後の幻が描かれます。川の両岸に立った二人の人とダニエルが会話をしています。そして、これまで述べられてきた、不思議な、理解の及び難い終末的出来事はいつ終わるのか、特に迫害の時代の終わりについてダニエルが問いかけています。答えは、「一時と二時と半時」でした。黙示録12章を思い起こす内容です。そこでヨハネは、ひとりの女と竜の戦いについて語っていますが、それは、メシヤを産んだマリヤとも、また、マリヤによって生まれ御子によって贖われた神の民、教会と竜の戦いとも解釈されています。しかしそのエピソードの趣旨は、「千二百六十日の間(黙示録12:6)」「一時と二時と半時の間(黙示録12:14)」という約三年半という区切りを示すところにあります。つまり、苦難や試練はいつまでも続くものではない、ということです。ですから大まかに意訳すれば、「ダニエルよ、大丈夫、こんなことはいつまでも続くわけではない。神に従う者の報いは大きい。ただ従いなさい」と言うことでしょう。しかしダニエルは、言葉尻に引っ掛かって再度理解を求めて尋ねています。答えは与えられませんでした(9節)。信仰の道を歩みつつ、小脇にもやもやとした疑問を抱えながら歩まなければならないことはあるものでしょう。しかしだからといって先に進めないわけではありません。時代がどうであれ進むべき目標ははっきりしています。主の安息です(13節)。その希望に向かって今日も進んでまいりましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です