ミカ書4章

4章 完全な平和の実現

おはようございます。ミカ書における終末預言と思われる箇所です。しかし、後に起こることと読み流さず、当時の人々が受け止めたメッセージの本質を掴み適用したいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.やがて来る新しい時代

これまでミカは、横暴な支配者と偽預言者の搾取や虐げ、そして彼らに対する神のさばきを語ってきました。続いて、まことの神が王となって国を支配する新しい秩序の時代を語り始めます。「その終わりの日」というのは、当時の時代背景を踏まえるなら、バビロン捕囚から帰還する時を指していると言えます。しかし預言書の二重預言としての性質を考えると、それは、終末の日について語るものと理解することもできます。いや、ここではむしろ、後者の意図が濃厚と言うべきでしょう。実際、3節、その日は、まことの神が直接人々を支配し、裁き、教えてくださる時になるからです。そして二度と相争うことのない完全な平和が実現する日だからです。それは決して地上の世界では起こりえない平和であり、終末的に理解すべき内容です(イザヤ2:4)。私たちはこのような完全な平和が近づいていることを覚えながら、日々を歩んでいくわけです。

2.その前の苦しみ

しかしながら、争いのない、平安に満ちた、神を中心とする新しいエルサレムの実現は、苦しみを通してもたらされる、というのが8節以降の後半が語っていることでしょう。当時の時代背景を考えると、それはアッシリヤによるエルサレム包囲を物語っています。ですから「今、なぜあなたは、大声で叫ぶのか」(9節)「今、あなたは町を出て野に宿り、バビロンまで行く、そこであなたは助け出される。」(10節)と言うわけです。捕囚の苦しみが、近い将来に必ず起こる。しかしその苦しみを通らずして、完全な神の平和の実現もない、というわけで、それは「主の御思い」(12節)である、となるのです。そして、このメッセージを終末的に、今の私たちにも関わるものとして読むのならば、新しいエルサレムの実現のためには、患難の苦しみを通ることを言っています。

ただ終末的に受け止め過ぎると、このミカのメッセージは今の私たちにはあまり関係のないこと、これから苦しみが来て、終末が来ると読み流してしまいかねません。そこで、さらに三重に、象徴的に読むことでしょう。つまり、今苦しみにあるとするならば、その苦しみは、性質が違っても、ミカの時代の人々も経験したことで、新しい神の恵みを味わうために通らねばならない必要悪なのです。そのような意味で、苦しみを避けていては、祝福に辿り着くこともできません。しかし、苦しみに立ち向かう勇気のない現実が人にはあるものです。そのために、日々自分を仕事に忙殺させる、あるいはお酒に飲まれて思考をストップさせてしまう、と誤魔化しながら人生を生きることもあります。しかしそれは不信仰そのものに他なりません。神の助けを信じましょう(13節)。信仰を持つことは、教会に所属し教会に重宝とされる信徒となる以上のことです。必ずや新しい出エジプトを成し遂げてくださる主に信頼し、神と共に苦難を乗り越えていくことなのです。夜明けは近いのです。

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