マタイの福音書10章

マタイの福音書10章 恐れずに宣教を進めよ

おはようございます。2021年1月19日、パスターまことの聖書通読一日一章です。継続は力なり。聖書を日々手に取り、心の糧とするなら、自然に養われてくるものがあるものです。今日もぜひ聖書を開きながら読んでください。今日はマタイの福音書10章からです。

1.福音宣教のための選び、対象と方法(5-15節)

8-9章で、マタイは、イエスには、「天においても地においても全ての権威が与えられている」ことを語っていました。10章では、イエスがその権威を選ばれた12弟子に移譲し、神の国の福音を伝えるように命じています。

そこでまず福音を伝える対象が明らかにされます。それは5節、異邦人ではなく、ユダヤ人です。まず同胞から始めよ、足元から始めよ、ということでしょう。また伝えるべき福音の内容、それは7節、「天の御国が近づいた」ことを伝えるものです。人はこの世がすべてであるかのように生きていますが、やがて私たちは神がおられるという現実に直面するのです。早く神の支配の中に生きる幸いを語りなさい、というわけです。またそれはただで受けたメッセージですから、8節、ただで語り伝えなさい、となります。つまり受け売りでよいのです。さらに9節、神のための働きなのですから、神が必要なものは備えてくださいます。

2.福音宣教の心得(16-33節)

続いてイエスは福音宣教の心得を語ります。7:6の豚に真珠の教えを思い出しましょう。語るべき人を見極めて語るように、と言います。それは、誰にでも歓迎して受け入れられるメッセージではないので、思わぬ衝突となることもあるでしょう。しかし、拒絶する人は、縁なきことと思い、無駄な衝突を興さず、むしろ福音の価値がわかる人を見つけていきなさい、と。そしてもし、19節、衝突に巻き込まれても心配しないことだ、と。神があなた方と共にいて助けてくださることを信じなさい、と。繰り返しになりますが23節、避けて、逃げることがよい、いや、積極的に言えば、福音を語るべき所はたくさんあるから、先に進みなさい、となります。

そもそも弟子と師は一体であり、師であるイエスが不評を受けるなら、その弟子も同じでしょう、と言います(25節)。だから一々拒絶されることがあっても、驚かないことだし、恐れないことだ、と言います。むしろそこで本当に自分がイエスの側に立っているかどうかが、イエスの弟子であるかどうかが、はっきりするのです。

3.福音宣教の意義(34-42節)

32節以降は、和を重んじる日本人にはなかなか、穏やかな気持ちで読んでいくのが難しいところではないでしょうか。しかし、キリスト教信仰のみならず、人に理解されないことは多々あるものです。結婚、就職、生き方、家族や友人に反対されることは、信仰だけではありません。大事なことは反対を貫くだけの価値あるものに身を投じているかどうかです。マタイ5-7章の山上の垂訓を読み直したいところです。マタイはイエスがカルト的信仰に人を招いていると言っているのではなく、神の愛と恵みに生きる幸いを語るメンバーに加わるようにと語っています。そして、神の愛と恵みを理解して受け入れる人が必ずいるものだから、恐れず語りなさい、と言うのです。では良き一日となるように祈ります。

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