ルカの福音書2章

ルカの福音書2章 キリストの遜り
1.イエスの降誕(2:1-20)
 ルカの特徴は、イエスの出来事を一般の歴史に結び付けていくことです。1節、皇帝アウグストゥスはローマ帝国初代の皇帝で、その在位は、BC27-AD14までです。またキリニウスがシリアの総督であったのはBC12-10年とされています。となると、イエスが生まれたのは紀元元年以前であったのかもしれません。正確な時はいつなのか、よくわかっていませんが、この時イエスの家族は住民登録のために郷里へ戻らねばなりませんでした。通常現居住地でなされるものが、ユダヤ人の場合は郷里に戻ってするようになっていたのです。
 さて今日、イエスが生まれたところにも、羊飼いたちが野宿したところにも、記念教会が建てられ、巡礼地の一つとされています。ベツレヘムを訪れた私の印象は、小高い丘が連なる、夜空が美しい町です。しかし、12月のベツレヘムは、野宿をするには寒すぎ、雪も降ります。イエスの降誕を祝うクリスマスは、12月ですが、本来は、違う時期であったのかもしれませんね。ともあれ13節、御使いが天に現れ、大合唱、救い主の誕生が知らされるのです。しかし神はなぜ世界の片隅で、名も無き羊飼いたちを相手にこんなことをされたのか、しかも、彼らはユダヤでは、その仕事の性質上、人々から見下され、裁判で証言することも許されないような人々です。世界の救い主なのですから、首都エルサレムのど真ん中で、各国の要人を相手に、もっとど派手に現れてもよかったのにと思うところですね。しかし、神との出会いはいつもそのようなものなのかもしれません。それは小さな世界の片隅で起こるもの。しかし厳粛かつ、遜る者に大きな出発点となるものなのです。
2.成長するイエス(2:21-52)
 さてイエスが育ったナザレは、標高350mの丘陵にあって、周囲を山々に囲まれた一寒村です。4世紀以降、エルサレム、ベツレヘムに並んでキリスト教の巡礼地とされるまでは、あまり人に知られていませんでした。そこから、イエスが家族と共にエルサレムへ出かけた二つの記録があります。一つは生後8日目の割礼を受けた後のこと。イエスの家族は律法の定めに従ってささげ物を献げましたが、それは貧しい者のそれでした。また、その場に居合わせたシメオンの賛歌と預言が記録されています。今日エルサレムの聖墳墓教会には、心臓に剣を刺されたマリヤの像があります。それは35節を文字通り再現したものなのでしょう。ともあれ、イエスの降誕もその生活も社会の底辺を出発点としたのです。また二つ目に12歳の時の都のぼり。ユダヤの少年は13歳になるとバル・ミツバ(アラム語で「律法の子」)という厳かな儀式を受け、大人の仲間入りをし、会堂礼拝に加わることが許されました。1年早く都へ上ったのは、その予行練習のためだったのでしょう。ナザレからエルサレムまで、約100キロ、当時は歩いて約三日の道のりです。巡礼が終わると、人々はエルサレム北13キロのベエロテで宿泊し、旅程の無事を確認し、本格的に帰省したと言われます。両親がイエスの不在に気づいたのはこの地点だったのでしょう。イエスと両親の会話が記録されますが、既にこの時、イエスは自らを「神の子」と自覚しておられました。神であられるのに完全な人となられて、社会の底辺から出発されたイエス、そうであればこそ、彼の救いには望みがあるのです。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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