ルカの福音書5章

ルカの福音書5章 神の子イエスに従う
1.最初の弟子(5:1-11)
4章で、ルカは、神の子であるイエスを、サタンや悪霊は認めたものの、故郷の人々は認めなかった、と書いています。ここ5章では、イエスが、具体的にご自身を神の子とする、いくつかのしるしをお示しになったこと、またイエスの招きに応じてイエスの弟子となった者たちがいたことを記録しています。
最初のしるしは、大漁の奇跡です。当時の漁は、夜間に、しかも浅瀬で行えば、よい結果が出ると考えられていました。しかしその日、漁は空振りでした。そこにイエスが現れて、常識的な理解を覆すアドバイスを与えられたわけです。イエスはこの真昼間、しかも深みで漁を行うように勧められたのです。そして結果は、おびただしい数の魚が取れ、舟が沈みそうになった、と言います。ペテロとしては、漁のことは、俺たちの方が詳しいんだ、でも、先生がそう言うなら、という気持ちもあったことでしょう。しかし、この出来事を通して、イエスが単なる聖書の教師ではなく、それ以上の存在であることを知らされるのです。そして彼は、仕事を捨ててイエスの付き人となっていくのです。ペテロの身になって考えれば、それは、何か新しいことが起ころうとしている、今こそ自分の人生の流れを変えるべき時だ、というようなものであったのかもしれません。
2.重い皮膚の病の癒し
12節、ルカは、イエスが、その昔大変恐れられた皮膚の病を癒したことを語っています。そして17節、それが神の御力によるものであると言います。大切なのは、18節、中風の人の罪の赦しの物語でしょう。ルカは、単にイエスが人の身体的な病を癒したというのではなく、人の罪の赦しを宣言したと述べているところです。どんな宗教にも、病を癒す奇蹟話の一つや二つはあるものです。しかし、イエスの特異性、キリスト教にあって他になきものは、罪の赦しなのです。しかも、その極めつけが、十字架の犠牲による全人類の罪の赦しなのです。罪に打ち震えた魂に安息を与える、これがキリスト教の特色なのです。実際、イエスに反対する宗教家が反感を抱いたのも、この点、人の罪を赦すことができるのは神のみであること、つまりイエスがご自分を神と等しくしている点でした。しかしイエスは堂々と24節「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために」と、ご自分が旧約聖書で約束された救い主であることを明言されるのです。
3.徴税人マタイの召命
27節から、もう一人の弟子レビがイエスに従った時の様子が描かれています。マタイの福音書では、マタイと別名で出てくる人物です。彼は当時のユダヤ社会では強盗と同類に扱われる徴税人でした。しかし、神の子イエスにマタイに対する偏見はありません。ということは、私たちが信じるまことの神は、この世の評価、この世のものさしなどとは関係なく人を扱われるお方だということです。神の尺度は人間のそれとは違うのです。神を人間と同じように考えてはいけません。そして神は本質的に愛なのですから、神の子イエスの登場は、主の恵みの新しい時代の始まりでした。イエスという新しいぶどう酒を受ける、新しい人生を形作っていきたいものです。

最後に、今日の聖書クイズを一つ。聖書の時代、レバノンは、何で有名でしたか?
①美しい女性、②オレンジ、③杉の木、④金鉱。どれでしょうか。昨日のクイズの答えはナザレでした。今日の答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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