レビ記17章

17章 ささげ物に関する注意事項
1.ささげ物に関する注意事項
イスラエルの民は、どのようにして神の前に出ることができるか、これがレビ記前半の主題でした。主へのささげ物の必要性があり(1-7章)、それを取りなす祭司の役割があり(8-10章)、そして、食事(11章)、出産(12章)、病(13-14章)、性(15章)といった神ならざるもの、人間固有の出来事を抱えた存在が、どのように神に近づくのか、つまりささげ物を携えて近づくのだ、と教える流れがあり、そのクライマックスが16章の宥めの日の定めとなるのでしょう。罪のきよめだけに一日を割き、人間であることを覚え、神の前に遜る日の重要性を語る部分があるわけです。17章は、神との交わりを許された人間がいかに、神と共に歩んでいくのかを語る後半に入る前の補足となる部分です。
1)屠った家畜は必ず主にささげる(17:1-9)
 まず、家畜、つまり牛、羊、やぎを、宿営の内か外で屠った場合、それは、必ず会見の幕屋の入り口に持ってきて、いけにえとして献げるように命じられています。無意味無目的に動物を殺すことが禁じられるのみならず、イスラエルの民は、神を礼拝する在り方をしっかり教えられなくてはなりませんでした。7節「雄やぎの偶像」は、ナイル川下流域のエジプトの慣行となっていたやぎ礼拝を指していて、イスラエル人も何らかの影響を受けていたとされています(ヨシュア24:14)。イスラエルの民は、このような異教の偶像礼拝や迷信とは一線を画し、異教の神への献げものとまことの神への献げものを区別し、ただまことの神のみを正しく礼拝するように教えられなくてはならなかったのです。ですから家畜が屠られたなら、それは、必ず会見の天幕に臨在する主のもとに持ってきて、献げるようにと教えられたのです。公的礼拝の重要性というのはそのようなものかもしれません。自身が罪人であることを弁え、さらに自己流で物事を進めやすい弱さがあることを覚えて、まことの礼拝が身につくためにこそ、教会に通い、共に集まって、牧師のもとで礼拝をささげていく。当たり前のようなことでありながら、実は重要な基本なのでしょう。
2)血を食してはならない(17:10-12)
次に10節からは、血を食することへの禁止です。今日、ユダヤ教では、食べてよい食物と食べてはいけない食物を定めていて、食べてよい食物を一般にコーシェルと言いますが、肉については、しっかり血を抜くことが定められています。肉屋で、コーシェルの肉を買ってきて、さらに家庭で調理する前に、その肉にある残りの血を抜くのは主婦の仕事です。なぜ、そのようなことをするのか、と言えば、やはり、血にはいのちがあると教えられたからなのでしょう。ささげ物とされ注がれた血は、その犠牲動物のいのちが神に献げられたことをビジュアルに表現するのみならず、実際にそのいのちが犠牲にされることで、人の罪は償われたと教えられるわけです。となれば、いのちある血、人の罪を償う尊い代価としての血を、飲み食いするなどもっての外ということではないでしょうか。ですから、たとえそれが、いけにえに献げるものではなくても、つまり狩で流された血であっても、その血は尊く取り扱われなくてはなりませんでした(13節)。血はいのちの象徴、いのちの聖なることの象徴だからです。
 ただ、現代の私たちには、必ずしもそのような理解をしているわけではないでしょう。日本人は血を食用とはしませんし、動物を犠牲にして血を流すことで人間の罪が償われるというような考えは持っていません。血にはいのちがあり、そのいのちの犠牲により、神と人との交わりが回復するのだ、とは考えもしないと思います。しかし、このように、改めて教えられることが、キリストの血による罪の赦しと救いの理解につながるのです。パウロは、「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです」(エペソ1:7)と語っています。聖書において血は、特別な意味を持ちます。そしてキリストが流された血についても、その旧約聖書の教えに基づいて理解されるのです。こうして聖書を学ぶというのは、私たちの文化にはない考え方を学んでいくことであり、私たちの理解の足りないところを謙虚に教えられていくことに他なりません。私たちの考えがすべて正しいわけではありません。実際海外に出て異文化に触れて、これは日本人固有の考えなのだな、普遍的なものではないのだなと思わされることはあるものでしょう。そうであればこそ、人間は、謙虚に、自分の思考の枠組みを超え、真理を探究することも大切だと思い当たるわけです。自分の考えを単純によしとするのではなく、自分自身の考え方を改めて見直してみる。そして、修正すべきものは潔く修正する、信仰の道に入ることは、考え方を変える、違う発想を受け入れることでもあるのです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。宥めの日、あるいは贖いの日は、第七の月の十日に持たれますが、それは太陽暦では、何月頃になるのでしょうか?答えは、今日の9-10月になります。では、今日の聖書クイズを一つ。やぎは当時肉は食用、乳は飲用、毛は荒布や天幕の素材とされましたが、皮はどのように使われたでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
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