人生💯倍の祝福😊 サムエル記第一3章 はい、ここにおります

3章 しもべは聞きます はいここにおります

1.聖所の務めに与る少年サムエルとエリ

サムエルが神殿に預けられたのは、大体3歳ぐらいであったとされます。サムエルは主の宮に仕える者となるように祭司エリの教育に委ねられたのです。こうしてサムエルは、幼い時から、祭司の家に預けられて、祭司となるべく育てられていくのです。それは、特別な教育でした。こうしてサムエルは、毎年手作りの上着を差し入れする母の祈りに支えられて育っていきます。そんなある日、サムエルが、まさに神に出会う出来事がありました。主はサムエルを呼ばれた、とあります。

これまでシロにあった神殿については、幾度か考古学的に調査が行われましたが、おそらく神殿が建立されていたと思われる場所は、浸食が激しく、何一つわかっていません。けれども、他の地域で発見されたイスラエルの神殿と考えられているものから推測すると、ソロモンが後に建てたエルサレムの神殿とは幾つか違うところがあったと考えられています。例えば、それは、聖所・至聖所の二つの部屋ではなく、一つの部屋で構成されていたと考えられています。つまり縦長の構造ではなかったということです。また、長い西壁には一種の「至聖所」とも言うべき奥まった壁龕(へきがん)が設けられていました。そして相対する東壁外部の内庭には、土と自然石で作られたいけにえを献げる祭壇が、さらに内庭を取り巻く小部屋が務めをする祭司のために設けられていたとされます。

ですからこの時サムエルは、西壁の壁龕、「神の箱の安置されている」部屋で寝ていて、エリは内庭を取り巻く小部屋の一つで寝ていた、と考えられているのです。おそらくサムエルは視力が落ちたエリに代わって、聖所の灯火を守り続ける奉仕を担っていたのでしょう。ですから早朝に神の声をエリの声と勘違いして、エリの側に駆けつけたというエピソードも起こるわけです。

2.サムエルを呼ぶ神

ともあれサムエルには神が自分に語りかけているなどわかりようがありませんでした。聖書はこの時代、神のことばはまれにしかなく、幻も示されなかったと語ります。そのような時代に神は、少年サムエルに直接語りかけられたのです。彼は主人のエリが呼びつけたのだと勘違いしましたが、三度目に、それは、エリではなく神であることをエリに教えられるのです。

サムエルはエリに手ほどきを受けて、主のことばを聞くことを、教えられます。「9節。今度呼ばれたら、主よ。お話しください。しもべは聞いております」と申し上げなさい、と。こうしてサムエルは、語りかけられる神に心を開き、耳を傾けました。「主よ。お話ください。しもべは聞いております。」キリスト者にとって最も大切なのは、この神のことばを聴く姿勢です。ただサムエルの場合は、実際に神のことばは耳に聞こえてきたのです。さらに「主が来られ、そばに立って」(10節)とあるように、目に見える形で神は現れました。サムエルは自分の耳と目で神の語られることを受け止めました。しかし、私たちの場合は、そうではなかったりします。つまり神は、聖書を通して私たちに語りかけておられる、と私たちは信じます。いずれにせよ、大切なのは、神が意思し、語られる事柄がある、ということです。そのことに耳を傾けているか、わかろうとしているか、ということです。

3.与えられた神のことば

そこでサムエルが耳を傾けて聴いたことは、エリの家に対する神のさばきでした。しかし神の裁きは初めて語られたわけではありません。すでに、「神の人」がエリのもとに遣わされ、エリの家が祭司職から退けられ、新たに忠実な祭司が起こされると語られています(27-36節)。またサムエルに対する神のことばは、エリに対する二度目の警告です。「エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に償うことはできない」(14節)と語られます。実に厳しい神のさばきでした。しばしば神のことばは、悔い改めを求め、さばきを伝える耳痛いものです。私たちは、自分の期待どおりの耳あたりの良いことばを探して聖書を拾い読みすることがありますが、それは、神のことばを聞くという在り方とは違うものです。もちろん、神は恵み深いお方、愛に豊かなお方ですが、しばし、私たちに悔い改めを迫ることもあることは確かです。人はそれほど完全ではないのです。完全ではないからこそ、遜っていつも聖書に教えられる心をしっかり持ちたいところです。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。エポデは、栄光と美を現す聖なる装束でしたが、祭司はこの下に何を着たでしょうか?答えは青色の長服(出エジプト28:6-38)でした。では、今日の聖書クイズを一つ、穀物のささげ物は、どのような意味を持つささげ物であったでしょうか?答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

 

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<天草さんのフォローアップ>

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私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです。

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