テモテへの手紙第一3章

牧会者として、第一の務めは祈りである。続いて第二の務めは、日常性における証、というべきだろう。使徒たちの時代の教会組織はきわめて単純で、牧師(長老、監督)と執事に分かれていた(ピリピ1:1)。主として前者は教育を(1テモテ5:17)、後者は運営を(組織化と教会政治)を担当していたようである。大切なのは、その職務に志す者の資質であった。パウロは、もし長老、監督、牧師として仕えることを熱望するならば、以下の日々の実践が大事である、と語る。

①サタンや未信者に攻撃されたり批判されたりするものがない(2a)。②厳格な道徳観をもっている(2b)。③あらゆることにおいて節制があり自重することができる(2テモテ4:5)(2c)。④慎み深い態度を持ち、仕事にまじめである(2d)。⑤考え方や生活がよく整っている(1テモテ2:9)(2e)。⑥快くもてなす力がある(2f)。⑦教える能力がある。これは、次の執事との資質の違いで際立った部分である。執事には、聖書の教えがよくわかっていることが大切(9節)であるが、監督は、聖書を教える力、聖書から真理を語り、助言する力が必須であった。監督にこの力が欠ける時に教会は弱体化を避けられない。なお、その力は、学ぶ力でもある。学ぶことに怠惰な指導者は、教えることにおいても尊敬を得ることができない。⑧酩酊するような者ではいけない(3a)。⑨論争好きであったり、争ったりしない(3b)。⑩金銭に無欲である(3c)。⑪金銭以外のことについても強欲ではない(3d)。⑫穏やかである(3e)。⑬平和を求める(3f)。⑭家庭にあってよき長である(4-5節)。⑮信者になったばかりではいけない(6節)。⑯教会外の人々に不要な非難を受けることがない(7節)。

次に執事であるが、その起源は、使徒6章に遡る。最初の執事は、使徒たちを援助するために任命された。今日の地域教会において、執事は、牧師長老がみ言葉と祈り、そして霊的な監督に専念することができるように、彼らの働きを支援していく。執事の資質は以下のとおりである。①誠実さが第一である(8a)。②噂話や悪口を言わない(8b)。③酒に溺れない(8c)、④不正な利をむさぼらない(8d)。当時の執事は、家庭訪問に従事する機会が多かったため、③と④の心掛けは特に重視されたのであろう。⑤単に実務的能力があるだけではなく、霊的な確信を持っている(9節)。⑥以上の実践が確認されている(10節)。⑦やはり良き家庭の長である(11-12節)。

なお、11節の婦人執事は、執事の妻ではなく、女執事と考えられる。確かに、バプテスマや訪問とかの付き添いなどにおいて女性の働きが求められた。しかしその働きもまた、日々の良き実践に基づくものでなければならなかった。そしてこのような執事の職務を忠実に果たし得る者は、教会内においてよい影響力を持ち、自らも一層深い霊的成長を遂げ、確信に満ちた歩みができる、というわけだ。

14節からは、新しい段落となる。実践を確認され選ばれた人が、教会をどのように建てあげるべきかを語っていく。その初めに、指導者がよって立つ信仰の土台についてパウロは確認する。

教会は、神の家である。明らかに建物ではなく、霊的に整えられた者の家族的な集まりである。また、霊的な真理の拠り所である。キリストの福音が明確に語られる場である(15節)。確かに、と、パウロは、その真理を要約する。これは当時流布していた賛美歌であったのではないか、と考えられているが、ここに十字架と復活についての直接的な記述はない。しかし言い含められているとも考えられる。教会は、その家族愛をもって世の光とされる場である

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