ヨハネの黙示録13章

先の竜の協力者として、二匹の獣が登場する。一匹は海からの獣。もう一匹は地からの獣である。最初に海の獣。外観は不気味である。獣が被る冠のギリシア語は、王位を表す意味のディアデーマ。12:3では7つの冠。ここでは10の冠。一説に、すべての統治者を総称する数とされる。ひょうは、精悍さ、敏捷さを代表し、熊は強力な破壊力、獅子は脅威、地上のどう猛な動物によって地上を支配する者の横暴な性質が象徴的に語られる。この獣は竜、つまりサタンに権威を与えられている。それは、神を汚し、キリスト者を迫害し、あらゆる地に支配権を振るうようになる。この海の獣については、種々の学説があるが、旧約的象徴と考えるなら、ダニエル書の第一の幻に通じる内容である(7章)。ダニエル書では、海から上がってきた四つの獣は、具体的にバビロン、メド・ペルシア、ギリシア、ローマと帝国主義的な支配の盛衰について語るものだった。ヨハネはそのイメージを統合して一つの獣とし、過去から未来に至る地上のあらゆる政治的権力者を象徴的に語っている、と理解できる。
5節、「この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。」11章の異邦人が踏みにじる42カ月、二人の証人が証言をする1260日に相当する。8節、地に住むというのは、地上に住んでいるというよりも世俗の価値観に生きている人のこと。そういう人たちが、皆獣を拝むようになるという。しかし、9節、聖徒は忍耐し、揺るぎのない信仰に立つように、と勧められる。
 次に、11節、海の獣に対する協力者として地の獣が登場する。政治的権力をバックアップする存在である。12節、この地の獣は海の獣の像を造り、人々に拝ませている。そして拝まない者をみな殺させている。さらに17節、一つの許可書を与え、売買の自由や生活権を奪いながら、海の獣、強いては海の獣に権力を与えた竜、サタンに人々を仕えさせるようにする。非常に悪魔的な、カルト的な存在である。ちなみに、18節の「666」という数字については、皇帝ネロのヘブル語名を数字化したもの、という説、そして、ユダヤの完全数が7であることから、6は、完全に及ばない。不完全な支配の力を意味するという説がある。
さて、配役については大まかに理解できた。12章に戻るが、大きな赤い竜はサタン、女と子どもは教会、海の獣は政治的権力で、地の獣はカルト的(宗教的)存在と四つの配役がある。彼らの繰り広げるドラマは、天上で、赤い竜、サタンと呼ばれる存在が戦いに負けて、地に投げ落とされて、地を舞台に激しく怒りをまき散らしている、つまりサタンは霊的な存在、目に見えない存在だから、地上の政治的権力者やカルト的宗教家を利用して、神に敵対し、神に従う者を滅ぼそうとしている、というわけだ。しかしその日数は、限られていて、42カ月間である。
 ヨハネはこのドラマを描いて何を伝えたかったのか。そのような残酷な、辛いことが起こるということを、単に言いたかっただけなのか。もしそうだとしたら、当時のキリスト者に恐怖を与え、憂鬱な思いにさせるだけであろう。しかし、当時の読者と私たちは異なる知的前提でこれを読んでいることに注意すべきである。当時の読者には、ユダヤ的伝統でこれを読むセンスがあったのではないか。先ほども書いたように、これはダニエル書の象徴を用いている、と。つまりダニエルの時代と同じことが起こっている、と。となれば、彼らはダニエル書で語られたメッセージを同時に思い起こしたはずなのである。ダニエル書も、異邦人の異教的権力の迫害にさらされたユダヤ人の苦難を描いている。となればそこから何を学ぶことができるか、という発想になるのである。
振り返って8、9章では、旧約の出エジプトのイメージを使いながら世の苦しみはいつまでも続くものではない、もうすぐ新しい出エジプトが始まろうとしている、という慰めが語られた。そして、10、11章では、その苦しみの時を、ただ苦しいと嘆いておらず、あるべき苦難として、さらにはよい実が結ばれる苦しみと考え、大胆に救い主を証すべきだと勧められる。そしてこの12、13章では、バビロニア帝国に苦しめられた時代、自分たちの信仰の先輩がいかに生きたか、ダニエル書の記事を振り返らせている。つまり、ダニエルが、迫害下にあっても、いつも通り、神に祈り、感謝して生きたことを思い起こさせている。苦しみにあっても、心を騒がせず、神に全く信頼し、静かに、自分自身のペースを守って生きることが、ここから教えられることである。苦しみにあっても、静かに、その時を信頼の内に過ごし歩むことが私たちに求められていることである。

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