使徒の働き13章

使徒の働き13章以降は、パウロの伝道旅行のように思われるが、実際には、アンテオケ教会の宣教物語である。アンテオケは初代キリスト教史において重要な都市であった。エルサレム教会の最初の執事の一人はアンテオケの改宗者(使6:5)であり、アンテオケ教会は最初の異邦人教会となった。ステパノの殉教で、多くのキリスト者がアンテオケに集まり、ヘレニスト・ユダヤ人ばかりかギリシア人にも宣教して新時代を画している。イエスの弟子たちはこの市で初めてクリスチャンと呼ばれるようになった(使11:19-26)。またこの教会はパウロのチームを3度の伝道旅行に派遣した。そして、エルサレム会議に異邦人回心者の割礼の問題を提起して、ユダヤ主義に対する勝利を勝ち取っている(使15章)。
ともあれアンテオケ教会は、パウロの一向を祈りと断食によって送り出している。もはや迫害によって否応なしに散らされた結果、宣教が広まったというのではなく、この時から教会は、聖霊に導かれて明確な意思決定のもとに戦略的に宣教を進め、その報告会まで行うようになった。しかも、パウロは、次から次へと新しい宣教地へ出ていき、みことばの種をまき散らすように宣教を進めたわけではない。教会は戦略的ではあったが、神ご自身が、それぞれの地域の必要に応じて、パウロのチームを留まらせ、移動させ宣教を適度に導かれていた。パウロ自身は、やむを得ない事情の起こらない限り、各地域にキリスト者の共同体の基礎がしっかり出来上がるまで一つの場所に留まって宣教をしようとした(使徒14:3、5-7、20)。今日キリスト教会がこれだけ発展したのは、彼が最初から、語りっぱなしではなくて、教会の基礎を築き、その地域に根付かせるように粘着的な宣教をしたためである。そして神がその粘着度を適度にコントロールし、次から次へと地の果てに至るように彼の宣教を導いたのである。私たちは神に大いなることを期待することはできる、しかし実際の働きにおいては小さなことに忠実であり、しっかり取り組まなくてはならない。教会を建てあげ、完成するように心を傾けた宣教をこそ神は大いに祝し、導いてくださり、さらなる責任を任せてくださる、と理解したいところであろう。
さて4節、第一回宣教旅行において最初に足を踏み入れたのは、バルナバの故郷、キプロス島である。キプロスは、コッパー(銅)を意味する。たくさんの銅が採掘され、幸せの島とも呼ばれた。実際、幸せな生活のために必要とする資源はなんでも手に入ったという。そんな事情からなのだろう、キプロスは、エジプト、フェニキヤ、アッシリヤ、ペルシヤ、ギリシア、ローマと様々な国々に支配されてきたため、様々な偶像が乱立していた土地でもある。そこで彼らの巡回の旅では、回心者は全く起こされなかった。失望的な宣教の後、いよいよ、悪魔的な力と遭遇することになる(6節)。魔術師エルマ(バルイエス)が、パウロに敵対し、総督セルギオ・パウロの回心を妨げようとしたのである。パウロは、この問題に真っ向から立ち向かい、主の力を証する。
ところで、パンフリヤのペルガに渡ったところで、ヨハネ・マルコが、チームを離脱した(13節)。なぜ彼は途中で引き返したのか、いくつか理由が考えられている。一つは、魔術師エルマとの対決の後、リーダーシップに変化が起こったことである。パウロがチームのけん引役となった。ヨハネはバルナバの親戚であり、その事態に困惑したのだろう。二つ目に、パンフリヤは極めて困難の多い所で、沿岸部のペルガはマラリアを含む病気が流行っていた。パウロも実際にマラリヤにかかっている。その体調を回復させるために、ピシデヤのアンテオケ(高原地帯)へ向かったと考えられている。こうした宣教に伴う現実の苦労に、ヨハネは耐え難いストレスを感じたというわけだ。しかし、宣教は、人につく働きではない。神のご計画に参画することである。また、後にパウロがテモテに教え諭すように宣教に困難な働きである(2テモテ)。自分をささげきる心がなければ、困難も乗り越えられない。
16節より、パウロの初めての説教が記録される。つまり、イスラエルの歴史(16-23節)イエスの働き(24-30節)信仰による救い(31-41節)という三つのポイントがある。つまり、イエスが約束のメシヤとしてダビデの子孫として来られたこと、イエスの生涯は、その預言の成就であったこと、これを信仰によって受け入れるべきことが語られている。同じイスラエルの歴史を振り返りながら、ダビデよりも、モーセに多く言及し、イスラエルの不従順を指摘したステパノのメッセージとは違う(7章)。また、同じダビデを扱いながら、イエスの復活を証したペテロの説教に、それは、旧約預言の成就を語り加えている(3章)。福音の内容が丁寧に語られる必要が出てきたのは、ユダヤに住むユダヤ人以外の、つまり離散ユダヤ人、ディアスポラの民や、ユダヤ的背景を知らない異邦人を相手にするようになったためなのだろう。
ともあれ、パウロは福音を語った。神は約束に従って、イエスによって人々を救ってくださる。モーセの十戒を守る、行いによる救いではなく、キリストの十字架の恵みを信じることによる救いが語られる(39節)。つまり、正しい者の義認ではなく、不誠実な者の義認である(ローマ4:1-8)。キリスト教信仰を持つことは、哲学的な思索をし何らかの悟りを得ることでも、精進して何かしらの人徳を身に着けることでもない。神が、正しくない私たちのためにしてくださった出来事に気づかされ、それを信じることにある。神の一人子が十字架につけられ、罪が赦された、また神はイエスをよみがえらせ、新しい命の希望を与えられた、その恵みのメッセージを受け入れることに他ならない。

使徒の働き12章

そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようと、手をのばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺し、さらにペテロを捕らえたとある。「そのころ」というのは、漠然としているが、おそらく、アンテオケ教会が設立された頃、さらに、バルナバとサウロがアンテオケからエルサレムに派遣された頃のことを指している。またここで言う「ヘロデ王」は、ヘロデ・アグリッパ1世のことで、ヘロデ大王(マタイ2:1)の孫のことである。彼は、AD37年に王の称号を与えられ、41年に事実上パレスチナ全土の王となり、44年に死んでいるので、ここに記された事件は、その4年間に起こったことなのだろう。
彼は、ユダヤ人の支持を得ようとして、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。ヤコブは使徒の中で最初の殉教者となったが、それはすでに預言されていたことである(マルコ10:39)。ヘロデの教会弾圧政策をユダヤ人は歓迎した。というのも、彼らは、異邦人との関係を深めていく教会が気に入らなかったからである。教会はユダヤ人の偏狭な民族主義、排他主義から脱皮し始めていた。こうした時代背景のもとに、ヤコブの手紙が書かれている。たとえキリスト教会がユダヤ主義から分離したとしても、旧約聖書が捨て去られることはない。弟子たちが伝えた福音は、旧約にすでに明らかにされた神の救いの計画の実現だからである。時代は変わり、人も変わる。しかし、イエスによって示された福音は、変わらず体験され、受け継がれていくのである。
さて為政者の横暴はそんなに簡単にとどめられるものではない。しばしば、キリスト者であっても、その身の安全を確保されないことがある。ヤコブは殉教しペテロは投獄された。しばしば神の力を求めながらも、神は思うようには動いてくれず、時代や社会の荒波に飲み込まれてしまうことがあるものだろう。イエスは主の祈りの中で、「われらを悪より救い出したまえ」と祈るように勧められたが、祈れども悪意と敵意の罠に絡め捕られて、踏みにじられる他はないことがある。しかしそれはイエスの十字架のしもべとなり、キリストの痛みを分かち合う時なのでもある。神のみこころに自分をささげきる時なのである。また教会が心を合わせて一致した祈りをささげる時なのである(12節)。
また、この物語から、私たちは、不可能性の中にあって主に信頼すべきことを学ぶ。ペテロは、監視付きの鉄格子の中にいた。さらに、二本の鎖につながれて、二人の兵士の間に寝ていたという。脱出不可能ということである。ところが、神に不可能はない。種なしパンの祝いの時期(約一週間)であったが故の投獄であり、祭りが終わったら引き出されて殺されることが決まっていた。法的な弁護の機会は与えられず、また裏取引がなされる可能性もなく、救出のための特殊部隊がいるわけでもなく、これが三度目の投獄、ペテロはもう絶体絶命の中にあった。しかし、教会は彼のために諦めず熱心に祈り続けていたという。そして主はその祈りに応じた。ペテロは、牢獄から神の不思議によって解放されていく。しかしペテロは、解放されたこともわからずにいた(9節)。神の介入とはそういうものだろう。私たちの問題は永遠に続く、私には救いはないと思わされるような事が多い。しかしある時、はっと我に返るというか、自分を取り戻して、神が働いたのだとしか思いようのないことが私たちの人生には起こりうる。神を信じる人生には望みがある。
もちろん、神のみこころはよくわからないところがある。神はペテロを助けられたが、ヤコブの殉教は許された。なぜかそれはよくわからないことである。しかしながら、神は正義であって、ヘロデ王の自分を神とするような横暴な態度はいつまでも許されることはない。
ツロとシドンの人々は、どうやらユダヤと経済的な依存関係にあったようである(20節)。そこで、ヘロデ王のために、和解を記念する式典を開いたのだろう。参列者は、王をまるで神のように崇めたてた。すると生殺与奪の権を持つと奢り高ぶり、神に栄光を帰さなかったヘロデは、主の使いに打たれて死んでしまった。人は神に代わることはできない。神は高ぶる者を退けられる。そして神に敵対する者を滅ぼされるのである。
ともあれ不正に甘んじる時があろうとも、そこで正義を行われる神にすべてを任せて、またすべては、神の支配の中に正しく、秩序をもって行われることを信頼しながら、自分のなすべきことを淡々となさせていただく、ことが大切である。目先の苦労や、試練にではなく、神の永遠のご計画の流れの中で、しっかり神の側に立ち、神を恐れ、しっかりと神のみこころを成し遂げる歩みをさせていただきたいものである。

使徒の働き16章

異邦人の回心とバプテスマのニュースは、直ちにエルサレムへと広まった。すると、ペテロが異邦人のコルネリオと一緒に食事をしたことに対する非難が起こった。保守的、ユダヤ主義的クリスチャンによるものなのだろう。異邦人の回心を喜ぶのではなく、むしろ彼らとの交わりを非難するというのは、当時の差別的な風潮からすれば当然のことであった。誰もが歴史の子であって、その時代から抜け出すことは難しい。それを成し遂げるのは、まさに聖霊の業があってこそである。ペテロがコルネリオの家で起こったことを手際よく兄弟たちに伝えている。かつてペンテコステにおいて下った聖霊が、異邦人にも同じように下ったという。論より証拠である。そして神は今や「いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになった」のだと兄弟姉妹の心は一致した。
救いは万人のためのものである。ユダヤ人のみではない、異邦人のためのものでもある。パウロは、これを奥義であると呼んだ。「福音により、キリスト・イエスにあって異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となる」(エペソ3:6)それは、今まで秘められていたことであってようやく明らかにされたのだというわけである。神のご計画は、文化、民族、地理的境界を越えて、全ての者が、ともに約束に与る者となることである。それは、ヨハネの黙示録でも繰り返されている、私たちの宣教の目指すべきゴールである。「見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数え切れぬほどの大勢の群集が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた」(黙示録7:9,10)。
大切なのは、こうした働きが神の熱心さによって導かれていることであろう。だれも、こんな神の奥義を夢見た者はいなかった。だれもこの神の奥義の実現のために、自ら買って出て人々をリードした者はいなかった。むしろ、神ご自身が、その設定されたゴールのための計画をし、準備をし、実行されてきたのである。確かに、万人の宣教をすすめるための事前準備として、ステパノの迫害が起こりキリスト者が離散させられた(8章)。そしてパウロが回心させられ、世界宣教をリードする人材が備えられた(9章)、さらに世界宣教の必要性を全教会に文句なしに理解させるため、コルネリオの回心の出来事が起こった(10章)、そして派遣母体としてのアンテオケ教会が設立(11章)され、それは飢饉に際して心を一つにして救援活動を行うに至るまで成長したのである。しかしそれはすべて、神の導きによるものであり、神の主権によって、奥義ともいうべき、世界がキリストのもとに一つにされる宣教の働きが進められていったものである。
なお、これまでの記事もそうであるが、この箇所についても、創作的なものである、という議論がある。そうした議論への反論は、ハワード・マーシャルの注解書に詳しいので、ここでは歴史的事実として、受け止めながら話を進めることにしよう。大切なのは、目に見えない聖霊の働きを認め、神のみこころに敏感となって、「ためらわずに」神と共に出て行く心を持つことなのだろう(12節)。そうすれば、神が、その後に続く人を起こしてくださる。事実、ペテロに続いて出て行った人々は、エルサレム教会からではなく、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々、キプロス人とクレネ人がバトンタッチをするように起こっている。全く予期せぬ人材がさらに追加されるのである。つまり、宣教を成り立たせてくださるのは主ご自身である。
さて当時のアンテオケはシリヤ州の首都であるにとどまらず、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ、世界的な大都市であった。この都市でも、主イエスが宣べ伝えられた。その結果、大勢の人が信じて主に立ち返り、アンテオケ教会が誕生している。エルサレム教会は、この教会の成長を支援しようとして、バルナバを派遣した。バルナバは、さらにこの宣教の推進のために、タルソへ出かけ、パウロを連れてきた。宣教を成り立たせるのは神ご自身であるが、それは、同時に、神と人の協同作業である。神のみこころに身を投じた人々によって、さらに進められる働きである。
イエスの弟子たちは、アンテオケで初めて、「キリスト者」と呼ばれるようになったとある。「キリスト人」とあだ名されるようになったということだろう。彼らの特徴を一言でいうと「キリストに取り付かれた者」である。それほど、彼らの言動にキリストを見て取ることができた、ということであろう。一般の人々が、私たちの生活をのぞいた時に、何が見えてくるか、キリストが見えてくる、それこそ証しであり、宣教である。

使徒の働き10章

イエスは、聖霊があなたがたの上に臨む時に、「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)と予告された。ルカはすでに8章で、キリスト者が迫害によって強制的に宣教に押し出された様子を描いている。続く9章では、異邦人宣教の牽引車である使徒パウロの回心を、そしてこの10章においては、異邦人宣教が初代教会のリーダーであるペテロにビジョンとして示され、具体的に異邦人のコルネリオスが回心に導かれたエピソードが記録されている。また明日読む11章では、異邦人宣教のベースとなったアンテオケ教会の設立が語られる。つまりキリスト教がユダヤに留まらず、外へ向かって、あらゆる民族へ向かって広められていく基本的な舞台装置がどのように整えられていったのかを、ルカは、順序立てて書き進めているのである。
例によって全てを主導するのは、神である。神は準備が整った初代教会に、次のステップ、いわゆる異邦人宣教のゴーサインを出すために、二つの夢をもって二人の人物を結び合わせた。一つは、神を礼拝していたコルネリウスに、ペテロを家に招くように指示する夢である。コルネリオスはローマ軍の百人隊長で、ユダヤ教に帰依した異邦人であった。施しと祈りに務め、この日も、午後3時の祈りの時間に、祈りをささげていた。御使いが幻の中で語りかけ、ヤッファにいるペテロを招くよう命じた。理由も目的もコルネリオは明かされなかったが、コルネリオは直ちに従い、ペテロを迎えにやった。
次に初代教会の指導者であったペテロに幻が与えられた(このブログのトップページの写真は、ペテロがこの幻を見たとされるヤッファの家(史跡)である。現在は私宅となっていて、中に入ることはできない)。天が開け、大きな敷布のような入れ物に、律法が食べることを禁じた汚れた物があった(参照レビ11章)。ユダヤ人は、四つ足の動物、水の中の生き物、空飛ぶ鳥、地をはうもの、それら一つ一つについて、口の中に入れてよいものと悪いものを区別するように教えられていた。こうした定めは、衛生上の実際的な意味があったとされるが、それだけではない。むしろ、イスラエルは、神にささげられたものをもって食事をしていくことを教えられていた。それは霊的な意味を持つ。つまり、ささげられるもの、最上の聖いものでもって身も心も養い、飾る、というわけだ。思想やことば、行為、振る舞い、何にせよ、神にささげられるものをもって、自らのものとしていくことだ。どんな生き方をしてもよいと考える人もいるが、やはり人間として、神の民として、区別される生き方がある。神にささげられないようなものを、自分の生き方に取り込んではならない。ああ、確かにこの人には神がおられる、神がついておられるとはっきりわかる考え方、生き方がある。クリスチャンは、単なる禁欲主義者ではない。聖俗を区別して、俗を切り捨てるような生き方をしているわけではない。
ただ神は、ここでペテロに、ユダヤ人が区別し、除外しているものを食べるように命じた。神がそれらをきよめたのだからきよくないと言ってはならない、というわけである。神の主権によって新しく受け入れるべきものが生じた。ペテロはこの幻を理解できずにいた。そこへ、コルネリオの使者が到着し、その事情を明かされる。幻に見た動物や鳥は、異邦人のことであり、異邦人への宗教的な偏見を取り除くべきことが語られていたのである。こうしてペテロは、どの国の人であっても、信じる者はだれでも、主に受け入れられると理解していくようになった。あらかじめ彼は「地の果てまで」とキリストのビジョンを知らされていたが、そのビジョンを自分のものとして認識し、彼の行動計画とされていくまでには、時間と神の超自然的な介入が必要だったのである。私たちも同じようなものであろう。なんとも鈍い者と言えばそれまでであるが、たとえそうであっても、あらかじめ教えられていることが、理解され、自分自身の課題となり、そのことへの取り組みとなるまでに時間がかかり、神の後押しが必要なことがある。
コルネリウスの家に集まった人たちに語られたペテロの説教が記録されている(34-43節)。イエスの聖霊の力に溢れた公生涯の宣教、そして十字架と復活、これらは、すべて選ばれた民ユダヤ人に対して明らかにされたことである。しかし神の選びは、ユダヤ人が隣人に証をしていくためであった。ユダヤ人は神に与えられた神の恵みを隣人にも分かち合わなければならなかったのであり、それは明確にユダヤ人の祖アブラハムにも示されたことであった(創世記12:1-3)。私たちが選ばれたのも同じである。私たちも、福音の恵みを隣人と分かち合うこと、そしてその展開の大きさを理解するように召されている。
ペテロは幻を見るまでは、まさに自分が持っている価値の大きさをよく理解していなかった。救いは万人のものである。全世界の魂の必要を満たすものである。それは実際には、気の遠くなるような地道な活動の積み重ねにより成し遂げられることであると思えば、あまりにも野心的に過ぎるビジョンである。しかし、神が与えてくださっているビジョンは、そういう壮大なものであり、神はただ単にそのビジョンを私たちに丸投げされたわけではない。私たちがそれを成し遂げるために必要な助けを与えてくださった。だからペテロが語っていると、聖霊が下った(44節)。神がご自身のご計画を成し遂げるために必要ないのちと力を与えてくださったのである。キリスト者は、聖霊の命に生かされて日々歩み、聖霊の業を証しする。それは身近な家族から始まることもあれば、職場や学校などの関係において始められることもあるだろう。それは、究極的には全世界に向かって動いていくものである。そして、神のいのちが、私たちの働きに実を結ばせてくださるのである。神のいのちに生きることをこそ、大事にする今日一日であろう。そこに証しがあるからだ。

使徒の働き9章

イエスが予告されたように、福音は、エルサレムから始まって、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで広められていった(1:8)。すでに8章で、ユダヤとサマリアでどのような宣教がなされたのかを見た。ここ9章では、いよいよ地の果てまで広められていくための立役者であり、別名パウロと呼ばれる人物がいかにして福音に触れたかについて、ルカは記録する。彼は、初めからイエスの信奉者であったわけではない。福音書記者が記したような素直な弟子たちではなかった。むしろ、イエスを憎み、イエスの信奉者を害虫のように見なし、駆除しようとした残忍な男として登場する。しかしそれにはサウロなりの理屈があったのだろう。当時ユダヤの最高学府で学問を身につけた人物からすれば、無学な漁師や女性たちを中心とする熱狂的なナザレ派の主張など耳を貸すようなものではなかったであろう。十字架で処刑されるような者は、神の呪いを受けた者であって(申命記21:23)、師と仰ぐような者ではなかった。ところが、このサウロの理屈を180度変えていく出来事が起こったのである。サウロは、イエスに直接出会う経験をしたのだ。彼は否が応でも、それまで否定し、敵対視していたキリスト者の主張を、受け入れざるを得ない出来事に遭遇した。彼は、キリスト者を弾圧することによって神に仕えていると信じていたのであったが、実はそうではなく、むしろ神に敵対していたことを認めさせられるのである。というのもイエスは死んだのではない、今尚、生きている。また、十字架につけられたイエスは、単純に神に呪われたのではない、私たちの罪を赦すために身代わりとなって呪われたのである、と悟らされていくのである。こうして、イエスに対する反対者であり、迫害者であったサウロは、イエスに従い、イエスを伝える宣教者となった。ユダヤの律法を厳格に守ることを教えるパリサイ人は、神の愛と恵みを体験し、神の愛に生きることを語っていくキリスト者となった。
なおサウロの回心は、非常に劇的で、今日普通の人が体験するものとは異なっている。直接神の声を聞いたり、神の臨在の光に包まれるような超自然的な体験もなかったりして、人は信仰を持つことがある。たとえばエチオピアの宦官のように、理知的に聖書を読み理解し信仰を持つ人もあれば、テモテのように家族3代に渡る従順な信仰継承者として信仰を持つ人もある。信仰の持ち方は人それぞれである。しかし、サウロの回心の本質的な経験は、神の家族として共有されるものがある。つまり、人は聖書を読むことで、自分の罪のために死んでくださったイエスの存在を知り、そのイエスにある罪の赦しを、信仰を持って受け入れる決断をしているからだ。
さてサウロを導いたアナニアの働きに注目しよう。聖書の中では、この箇所にのみ出てくる人物である。もし、サウロの回心という出来事がなかったら、アナニアは、教会史の中に埋もれていたに違いない無名の聖徒であった。しかし、教会史においては非常に重要な役割をはたしている。神は、サウロの回心のためにペテロでも、ヨハネでもなくアナニアを用いられた。そしてこのアナニアの信仰的な応答と従順がなければ、サウロの新しい出発もありえず、当時の世界の隅々にまで影響を与えた、サウロの働きもありえなかった。神は、最も影の薄い聖徒に最も重要な働きを委ねられたのである。アナニヤがいかに大きな働きをしたかを認めないわけにはいかない。神への従順は、私たちの著名度に関らず、私たちの想像を超えた未来を切り開くことになる。1855年エドワード・キンバルという牧師は、一人の少年を救いに導いた。その少年こそ、後にムーディ聖書学院を開き、アメリカで実に大きな働きをしたD.L.ムーディだったと言われている。ムーディの働きは多くの人々の記憶に残ったが、キンバルの名は記憶されていない。だがキンバルは偉大なことをした。一人の魂をキリストに導くことは、決して小さな働きではない。私たちは、その結果を必ずしも知るわけではない。だが、そこに神の計画が計り知れぬ計画があることを覚えて、どんなに小さな働きであれ忠実に、信仰的に応答したいところではないか。全てキリスト者は、神の重要な働きを委ねられている。
さてサウロは、即座に伝道を開始した。これまで激しく迫害していたことから一変して、今度は、大胆にイエスキリストが神の子であることを宣言した。「かなりの日数がたち(23節)」、ここに、ガラテヤ1:15-17の出来事があったと考えられている。つまりサウロはアラビヤに出て行き、そこに再びダマスコに戻っている。しかし、ダマスコでの伝道(2コリント11:32)は妨げられ、サウロはエルサレム、カイザリヤ、そしてタルソに逃れていき3年が経過していた(30節)。
9章終わりに、ペテロの活躍が描かれている。アイネヤとタビタに起こった主の奇跡である。「イエスがあなたをいやしてくださる」ペテロは、主の権威を強調した。「タビタ。起きなさい」イエスの生き写しであるペテロの姿がある。私たちは主のしもべであり、主の生き写しである。主の力が私たちを通して豊かに現される。だからこそ、私たちは祈らねばならない。主と交わらなければならない。主の足元に跪き、主の教えを乞い、主の御力を受ける、そんな時が必要である。主が生きておられればこそ、主の業をなす僕として、主と心ひとつにして用いられることを祈っていくこととしよう。