1.神の決断(33:1-6)
モーセのとりなしによって神の怒りは鎮められました。「乳と蜜の流れる」約束の地を与える契約も確認されています。しかし神はもはや、一緒には行かないと言います。なんと、神も人間と同じように感情的に応じられたのでしょうか?しかしそうではありません。それは、神の義しさを示すものです。神は、イスラエルに、これ以上ご自身の災いが及ぼされないようにと考えたのでした。ただ、イスラエルの民はこれを悪い知らせ、もう神に見捨てられてしまうのだ、と受け止め悲しむのです。そこで、神はイスラエルの民に飾り物を外して、まず悔い改めるように求めました。ありのままの姿で、神の前に悔い改めの心を表すように求められたのです。
2.モーセのさらなるとりなし(33:7-23)
7節、神はモーセと友と語るように親しく語られたとされています。それは、モーセだけの特権ではありません。イエスはおっしゃいました「あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。」(ヨハネ7:14、15)。聖書の神は、天地創造の神とされるし、いと高き神ともされる、実に巨大な存在です。下賤な人間が足元に近づくことすら許されない存在ではないでしょうか。しかし、神は、私たちの友と呼ばれることを恥としない。それは、神の私たちへの関心と愛を語るものであり、私たちとの関係を深める意志を持っている、ということです。ヤコブの手紙の中には、「神に近づきなさい、そうすれば、神はあなたに近づいてくださいます(4:8)」とあります。神に心を開くことが何よりも大切です。
神はモーセにご自分の考えを修正されて、言われました。「わたしは、あなたと一緒に行こう」(14節)と。これに対してモーセは神に念を押しています。「私とあなたの民が」と。神は、すべてモーセが言うとおりにしよう、と答えるのです。
イスラエルの民が、エジプトで奴隷であった状態から救い出してくださった神を忘れて、金の子牛を造って拝むとは、なんとも残念な事態です。そのような状況においては、神に何かを申し出るなど、難しい気持ちであったと思われます。
それは、私たちの現実においても経験されることです。私たちが、神の変わらぬ祝福を欲しても、そこで神のことばに従っていない自分、あるいは背を向けている自分を思い起こすことがあれば、神からの祝福をいただくことに核心を持つことは難しいのです。また、物事がうまくいかなかったり、不幸があったりすれば、まさにこれはあの罪、この罪のせいである、と物事をネガティブに考えるばかりということがあるかもしれません。
しかし、そうであってはならないのです。モーセに代わって、仲介者キリストが、私たちのためにとりなしをしてくださるのです(へブル7:25)。キリストがモーセのように、親しく神と語り、わかった、あなたの言うとおりにしよう、彼を守ってあげようという神の言葉を引き出してくださるのです。大切なことは、自己反省をすること、悔い改めて、ありのままに神にお詫びし、神に立ち返ることです。そうすれば、神の祝福を確信することができます。
3.とりなしを受け入れる神(33:17-23)
他方、神がモーセの言う通りにしようと語ったことには、神の深い愛と決意を覚える必要があります。神は人間と同じように自分を大切にしてくれない人に感情的に応じたり、親しく語る友人のとりなおしがあったので、とりあえず機嫌を直したりするわけではありません。神は、どのようにご自分の約束を守るべきかを考え、ご自分の正しさが、不用意に民を滅ぼしてしまうことのないように、細心の注意を払って一緒に行くことを決意されたというのです。つまりそれは、単なる思い直しではなく、さらに丁寧な深い愛を示す神の決意表明でした。神の愛は人間の論理を超えた深いもので、信仰を持つことによって、その愛の深さを体験できると言えるでしょう(19節)。
今日私たちはその神のその堅い意志を、聖書と聖餐式によって繰り返し確認します。ことに聖餐は、イエスの十字架の罪の赦しと恵みが変わることなく、私たちのものであることを、パンとぶどう酒を食することにより、体感するものです。教会から聖餐式がなくならない限り、私たちの罪の赦し、そして愛が取り消されることはありません。
最後にモーセが神にさらに求めたことに注目しましょう。モーセは、罪人に対する神の臨在が保証された後で、忠実な者にはさらに神の臨在が身近に感じられるように求めました。神を直接見たいと。しかし、神は神秘であり、私たちが神を知り尽くすことは許されないし、できないことです。けれども死を経験し、天の御国に招かれるなら、直接神の顔を見ることもできることでしょう。天に戻る前の今は、人はただ日常生活の経験の中で、日々の信仰の歩みを通して神の存在や働きを感じ、理解できるのみです。直接神にお会いするときには、もはや信仰も不要となるのです。神の祝福がありますように。チャンネル登録、メンバー登録よろしくお願いいたします。では、また明日、このチャンネルでお会いしましょう。
Chapter 33: Moses’ Intercession
God’s Decision (33:1-6)
God’s anger was calmed by Moses’ intercession, and the promise of the land of “milk and honey” was confirmed. However, God decided not to accompany the Israelites. This wasn’t an emotional response but a demonstration of His righteousness, aiming to protect the Israelites from His wrath. The people were saddened by this and felt abandoned, prompting them to repent and remove their ornaments as a sign of humility before God.
Moses’ Further Intercession (33:7-23)
God spoke to Moses as a friend, a privilege not exclusive to Moses. Jesus also calls us His friends, emphasizing God’s desire for a close relationship with us. Moses’ intercession led God to reconsider and promise to go with the Israelites. This reflects our experiences of feeling unworthy of God’s blessings due to our sins. However, through Jesus, our mediator, we can confidently approach God, repent, and receive His blessings.
God Accepts Intercession (33:17-23)
God’s decision to heed Moses’ intercession shows His deep love and commitment. He doesn’t respond emotionally like humans but carefully considers how to uphold His promises without harming His people. This decision reflects God’s profound love that goes beyond human logic. We reaffirm this love through the Bible and communion. Moses also sought to see God directly, but while on earth, we can only experience God’s presence through daily faith. When we meet God in heaven, we will no longer need faith.