【シーズン6】出エジプト記36章 幕屋の建設【聖書】人生100倍の祝福


1.有り余った材料(36:1-7)
 神に命じられた幕屋の建設が開始されました。選ばれた工匠たちが、幕屋を建設するための材料を調達します。それは自発的なささげ物として集められ、有り余るほどの量となりました(5節)。ささげ物をこれ以上持って来ないように、と受付の終了を告げざるを得ないほどでした。民は実に気前よく神の求めに応じたのです。ただ、そこで彼らが何に応じたのかに注目すべきでしょう。
 彼らが応じたのは、神の誠実さに対してです。というのも、神はご自分の民が逆らい、背を向けたにもかかわらず、なおも、契約の故にその民の中に住もうと決意されたのです。金の子牛を作り偶像を崇拝した過去の過ちを神は忘れてくださいました。「人を愛するとは、人のした悪を忘れることだ」と言われますが、まさに神はイスラエルのした悪を忘れ去ってくださったのです。そのような神の深い愛に守られてこそ、イスラエルの民は、神の選びの民として歩むことができました。そして神の幕屋を建てる祝福も取り去られることなく、その機会を得たのです。彼らが実に気前よく、神の言葉に応答したのは、神の赦しと愛があったればこそです。ベタニヤにおけるマリヤの香油注ぎ(マタイ26:7)、ピリピ教会の気前のよいささげ物(ピリピ4:14-19)を思い起こすところでしょう。
2.幕屋の建設(36:6-38)
ところで、溢れるほどのささげ物がなされると、人は、一種の誘惑にさらされるものでしょう。つまり、もっと、という貪欲さが起こりうるのです。これだけあれば、もっと立派なものを造れる、もっと大きいものを造れる、そんな発想になってしまうものです。しかし、彼らは、主がせよと命じられたとおりの仕事を完成させることに意を注ぎました。彼らは神の誠実さに対して、誠実さをもって応えたのです。主がせよと命じられたことから右にも左にもそれず、主がせよと命じられたとおりのことをしたのです。
36章から39章までの実施記録は、実は、25章から35章までに書かれた幕屋の企画書について、時制と人称を変更しただけで、まるでスタンプを押していくかのように、きっちり仕事をしたことを語るものです。彼らは、主が命じられたこと以上でも、以下でもない、計画通りの仕事を完成させたのでした。
しばしば日本人の宗教観は、多様な神々や信仰を受け入れることが特徴です。それは、宗教的な寛容さとも言えますが、実際には、様々な宗教と哲学を融合させ、日本独自の文化洋式を作りだしています。たとえば仏壇と神棚を一緒に家に飾る生活様式もそうでしょう。全く異なる信仰であるのに共存させるのです。また、夏に行われるお盆は、仏教の盂蘭盆会と日本の民間信仰が結びついたものです。盂蘭盆会は、インドの仏教経典に由来し、亡くなった先祖の霊を供養するための行事です。他方日本には、もともと死者の霊が家族や地域に戻ってくるという民間信仰がありました。この二つの要素が合わさって、日本ではお盆の期間に先祖の霊を迎え、供養し、送り出すという一連の行事が行われるようになったのです。ですから純粋な仏教徒も、神道教徒も少ないと言えるでしょう。
しかしながら、それは、キリスト教信仰についても言えることなのです。つまり純粋な聖書の信仰に意を注ぐことなく、聖書もどき、あるいはキリスト教風に味付けした自己流のキリスト教信仰の中に生きていく危険性があるのです。主に与えられた聖書という設計図を与えられながら、そのとおりに自分の信仰を建て上げていくのではなくて、設計図を見ながらも、似て非なるものに建て上がっていく、ということです。
興味深いことに、「心に知恵ある者」ということばが繰り返されます。単に知恵ある者ではありません。心に知恵ある者です。別訳では「名人」「熟練者」となっています。つまり神の設計図を見て、その意図をよく汲み取って、神がまさにこれと思うものを作り上げることができる人なのでしょう。神のことばをよく考えながら、そこで語られている意味を掘り下げて理解し、自分のものとして受け止め、実践する力を持つことです。
そのような意味で、聖書の読み方も熟練していかなくてはなりません。そのためには、文脈に注意しながら、繰り返し読んでいくことです。そして、神の語り掛けの真意、その心の意図を汲むように読むのです。キリスト者として何よりも、神のことばに耳を傾けることに熟練してまいりたいものです。神の祝福がありますように。チャンネル登録、メンバー登録よろしくお願いいたします。では、また明日、このチャンネルでお会いしましょう。
The Construction of the Tabernacle (Exodus 36)

  1. Abundant Materials (36:1-7): God commanded the construction of the Tabernacle. Skilled craftsmen were chosen to gather the materials needed. These materials were collected through voluntary offerings from the people, and there was an overwhelming amount. The people were so generous that they had to be told to stop bringing more offerings. Their generosity was a response to God’s faithfulness and forgiveness.
  2. The Tabernacle’s Construction (36:6-38): Despite having plenty of materials, the people focused on completing the work as God commanded, without adding or changing anything. They adhered strictly to God’s instructions, showing their faithfulness in return. The detailed records of the construction demonstrate their careful adherence to God’s plan, neither more nor less.

Reflections on Japanese Religious Perspectives: Japanese religion is characterized by the acceptance of many gods and beliefs, creating a unique cultural form. For example, households often have both Buddhist altars and Shinto shrines, showing the coexistence of different faiths. The Obon festival, combining Buddhist and local traditions, is a period when ancestral spirits are honored and celebrated. However, this mixing of beliefs can also pose a risk for Christians, who might stray from pure Biblical teachings. It’s important to stay true to God’s instructions and understand His word deeply.

Study and Practice: The term “wise-hearted” is repeated, referring to those who skillfully understand and execute God’s plans. As Christians, we must become proficient in understanding the Bible’s message, reading it repeatedly with attention to context, and grasping the true intent behind God’s words.

May God’s blessings be with you. Please subscribe and join our community. See you tomorrow!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.