15章 モアブへの裁き
おはようございます。バビロンに続く、モアブへの宣告。モアブは、バビロンと違い、イスラエルにとって身内的な存在です。そのモアブに対し、神の言葉を伝えるイザヤ自身の深い悲しみも綴られています。そして裁きは、理由なきものではないことにも注意したいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.モアブとイスラエル
モアブは、イスラエルの東側、おおよそ現在のヨルダン南部に位置する。モアブはヘブル語でメーアーブ「父によって」を意味しているように、モアブ人の起源は、ロトの娘たちが父ロトによって産んだ子に由来する(創世記19章)。またロトは、アブラハムの甥であるから、その子孫であるモアブ人はイスラエル人と血縁関係にある。
しかしその後のイスラエルとの関係は、あまりよいものではない。イスラエルがエジプトを脱出し、約束のカナンの地へと戻って来た時に、モアブ人はイスラエルが自分たちの土地を通ることを許さなかった(民数21章、33:41-49)。また、モアブの王バラクは、パレスチナに定着したイスラエル人を恐れ、彼らをのろわせるために、バビロニヤの占い師バラムを招き、のろわせ(民数記22-24章)、モアブ人の娘たちを使って異教の宗教儀式に誘惑した(民数記25:1-3)。士師の時代、イスラエルはモアブに支配されたが(士師3:12-14)、BC11世紀末サウル王(1サムエル14:47)、そしてダビデ王の時代(2サムエル8:2,1歴代18:2)にそれは逆転した。モアブが再び独立国になったのは、北王国滅亡後で、8世紀頃から衰退し、アッシリヤ王ティグラテ・ピレセル3世の時代に、アッシリヤの属国となった。
国の推移を見れば、モアブはイスラエルと対立的な関係を辿って来ているが、その歴史の中には、モアブ人ルツがイスラエル人ボアズと結婚し、ダビデの先祖となった出来事もある(ルツ4:18-22、マタイ1:5-16)。つまりモアブは、単なる血縁ではなく、霊的な意味でも隣人と見なされる民族であった。
2.イザヤの心
イザヤのモアブへの宣告は、そのような背景で読む必要がある。モアブは、神に愛される民イスラエルの血縁であり、霊的にも隣人である。その民が、神に裁かれる。神の約束の民の祝福を見ながら、約束の民の生きざまを見ながら、神により頼もうとせず、偽りの神々に心を向けていくそのあり方に、神は裁きを告げられる。
しかし、それにしてもその裁きはすさまじい。たましいがわななき、叫ぶ結末、悲しみを誘う内容だ。しばしば人は、神の裁きを口にする。しかし、その現実は簡単には受け止められない。戦争に巻き込まれ、家を焼き払われ、目の前で家族が殺され、血の海をさまよう姿を、神の裁きと呼ぶには、あまりにも悲しい(5節)。だが、そのような事態を招かぬように、神を恐れて歩むべきこともまた事実であった。というのも、主の裁きを悲しみ叫ぶ前に、人知れず積み重ねられた悲しみと叫びがある。神は、踏みにじられた叫びをなかったかのように扱うことはない。神は正しい方である。神の裁きは、決して不条理なものではない。正しいことをなさる神を認め、恐れつつ生きることが、平和への道となる。