イザヤ書19章

19章 終末の祝福
おはようございます。この時代は、いつの時代になぞらえられるものでしょう。歴史は繰り返すと言いますが、イザヤの時代も今の時代も同じようなものです。しかしそこで語られているイザヤの幻に驚かされます。聖書が永遠に読み継がれるわけがそこにあるのでしょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.エジプトへの宣告
アッシリヤがアラムとイスラエル北王国を支配したことにより、エジプトは、残されたパレスチナの国々に働きかけ、反アッシリヤ同盟を作ろうとした。ユダ南王国にとって、それは、アッシリヤに吸収されることを防ぐ唯一の手立てであった。しかし、イザヤは、神の裁きにさらされているエジプトに寄り頼むことを、断固として反対する。しっかりとエジプトに起こっていることを見よ、と言う。今エジプトは社会的に混乱している(2-4節)。国内の民族間対立が深まり(2節)、その宗教も堕落、混迷している(3節)。さらに外敵が起こり(4節)、干ばつ災害によって漁業を初め、当時の主力産業であった、亜麻すきや白布織りなどの紡績産業が衰退している(5-10節)。11節「愚かな」は、霊的識別力がないことを意味し、すべてを支配する神を覚えて正しい政治をする力がないことを言っている。つまり、ツォアンもメンフィスも、古代エジプトの首都として栄えた場所であるが、そこでエジプトを統治する指導者たちも、国民を振り回すばかりで(13節)、打つ手なしである。社会的混乱、経済的打撃、そして政治的空回りによって衰退し、滅びゆこうとする国にどうして頼ろうとするのか。
2.エジプトの最高と世界平和
大切なのは、そのようになった原因は、主が「混乱の霊を吹き入れられた」からである、と言う(14節)。何か主が、エジプトを積極的に滅んでいくようにさせたイメージがあるが、そうではない。エジプトが悪の混迷に陥るままにした、と言うこと。むしろ、主の姿勢は救おうとするものである。その日、エジプトには「五つの町が起こる。その一つは、イル・ハ・ヘレスと呼ばれる」(18節)。それはよく知られた五つの特定の町の名なのか、それとも象徴的な何かのイメージなのかよくわからない。口語訳、新共同訳では「太陽の町」と訳されるが、ヘブル語のギリシャ語訳である七十人訳では、「アセデクの町」と新改訳のようにヘブル語を音訳するだけである。大切なのは、混乱と新しい動きが起こるその時代の最中に、主を認め、主を恐れ、主に立ち返る悔い改めが起こる、と語られていることだろう。神はその悔い改めを受け入れ、エジプトを癒されると約束する(22節)。
さらに驚くことは、23節、エジプトとアッシリヤの二大強国が、共に神を拝し、イスラエルがその間に立って、三者相共に神の祝福を受けるという預言である。言ってみれば、アメリカと中国が共に神を拝し、日本がその間に立って、皆共に神の祝福を受けると言っているようなものだ。神は言う「私の手で作った」(25節)と。世界万国が主に愛されている国々である。その国々に対する神の救いの思いは強い。パンデミックのこの時代にこそ、真の支配者である神の存在を悟り、壮大な幻を提示する神のもとに集まりたいものである。

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