30章 神の豊かな祝福
おはようございます。世の中が色々と不穏な様相を呈しても、キリスト者は冷静沈着に物事を見、行動すべきであると言うべきでしょう。イザヤのことばは、それが正しい道であることを証拠とするために書かれたとあります(8節)。神の言葉は真実なのです。今日も主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.無駄な苦労
1節、はかりごとをめぐらしても、また同盟を結んでも「わたしによらず」つまり、神抜きに、祈り無しに、事を進める時に、それは決して期待どおりの結果を生み出すことにはならない。イザヤは、エジプトと同盟を結ぼうとするイスラエルに警告を発している。「ツォアン」は、ナイル三角州北東部にあった古代都市。また「ハネス」は、ナイル川をさかのぼった中流にあった、エジプトの中部に位置する都市である。つまり、ユダ南王国の指導者たちは、アッシリヤの対抗勢力であるエジプトと同盟を結び、その危機を回避しようとしていた。しかし、神は、たとい奥深く、エジプトのナイル川を遡り中部にまで足を運び、保護を求めても、何の役にも立たないという。「ネゲブ」は、大雑把に言えば、イスラエル南部に当たるが、実際の境界は、北はべエル・シェバ、アラデを経て死海に至る線を境界とし、東は死海からアカバ湾のエラテまで、南は、エラテとエジプト川で結ばれる線を境界とする逆三角形の地帯を指す。そこは、南部の乾燥した荒れ地であり、さらに猛獣毒蛇の出る場所であった。そのような場所を、驢馬や駱駝の背に財宝を載せて、危険な旅を苦労してエジプトまで向かうのである。それは空しい努力だ、と言う。神のみこころでなければ、どんな努力も実を結ばないばかりか、恥となり、そしりとなると言う。
2.主を求める幸い
かつてイザヤはアッシリヤと同盟を結ぼうとしたアハズ王に反対した(2列王16:7)、またアハズ王に反対してアラムやイスラエルと同盟しようとする者たちにも反対した。ここではエジプトに頼ることを反対している。それは今の時代も同じかもしれないが、政治家たちが自分たちの野心を遂げるために、危険である、非常事態である、と殊更騒ぎ立て、国内的には機に乗じた支出の増大、増税といった搾取的な政策を推し進め、国際的には世界戦乱の恐怖を煽り、国力増強の声をあげる状況にあったのだろう。イザヤは、国際間の紛争に巻き込まれない平和政策をもって独立自治を保ち、神の守りに対する信仰に堅く立つことこそ、国家および庶民の救いであると言う。戦争や戦争の噂を聞いて、他国並みに軍拡に走ってはならないし、それによって増税、教育の統制をするようであってはならない。イザヤは、その主張(神のことば)の正しさを証しするために、この書を書き残したのである(8節)。
25節以降は、イスラエルの脅威となっているアッシリヤに対する裁きを宣告している。主が杖でこれを打たれる、という(31節)。トフェテは、人間のいけにえをモレク神にささげるための場所で、ベン・ヒノムの谷にあった。もともとは廃棄所である。アッシリヤの王も、そこに葬られる、と言うのだろう。神の言葉に頼るというのは、無知無謀なのではなく、真に世界平和の実現を目指す人間として生きることに他ならない。