7章 神を信じる
おはようございます。今日のイザヤの預言を理解するためには、2列王16:1-20、2歴代28:1-27のアハズの評価を押さえておく必要があります。アッシリヤの王ティグラト・ピレセル3世に臣従した悪王のアハズ、彼に求められたのは信仰の勇気です。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.背景
北と南に分裂していたイスラエルの国は、二つの強国、北側のアッシリヤと南側のエジプトに挟まれていた。既にイスラエル北王国は、隣国アラムの傀儡政権となっており、反アッシリヤ同盟を形成しようとしたアラムは、ユダ南王国にも連合を強制しようとしていた。そこでユダ南王国のアハズは、自らの独立を保つために、アッシリヤに助けを求めるのである(2歴代誌28:5-18)。しかしそれによって、アラム、イスラエル北王国同盟の難は、逃れたものの、却ってアッシリヤの足枷を身に帯びることになり、やがてアッシリヤの侵入略奪の憂き目に遭うことになる(2列王15、16章)。
神はこのような不信仰のアハズに、イザヤを遣わした。イザヤは、この時、30歳程度であったのではないか、と推測されているが、彼は5、6歳の少年シェアル・ヤシュブの手を引いて、籠城準備のために水源の状態を確認していたアハズ王の前に現れたのである。そこは、来る脅威において要となる場所であった。
2.信仰の勇気を求める
イザヤは言う。「あなたがたは、信じなければ、堅く立つことはできない(9節)」イザヤが伝えたかったのは、たったこの一言に尽きるのである。そしてシェアル・ヤシュブを傍らに言う。この少年のように、素直な心で、神に願い求めてみよ。神は何でもかなえてくださる。天の高き所でも、あるいは地のよみ深き所においてでも、何でも。神のその御力を思う時に、エルサレムをアラムと北イスラエル連合軍から守るなど、簡単なことではないか、と(11節)。アハズは、口先では敬虔そうな返事をしているが(12節)、列王記、歴代誌に見るように、アッシリヤとの同盟を撤回するつもりはなかった。信仰を持つことは勇気を要する。彼にはその勇気にかけていたのである。イザヤはそのようなアハズに言う。「あなたの不信仰は、この私に無駄足を踏ませるのみならず、私の神の手をも煩わせることだ、と(13節)。だが、神に無駄はない。神はあなたに警告を与える(14-25節)。
14節は、伝統的にメシヤ降誕の預言とされてきた。しかし、ここでイザヤが、子連れで、預言を伝えに来た文脈を思い起こす必要がある。彼は遠い将来ではなく、今アハズに迫っている危機について語ろうとした。つまり、ある女が身ごもって子を産み、その子が善悪を知る(今隣りにいるイザヤの子のように物心が付く年齢)ようになる頃、あなたが恐れているアラムとイスラエル北王国もアッシリヤに滅ぼされる。そしてさらにあなたも脅かされるだろう。あなたが下調べをしたこの貯水槽は、何の役にも立たず(19節)、屈辱(20節)を見るのみだ。国土は荒廃し、わずかな家畜や野蜜で暮らす生活になる(22節)、ということだ。アハズに対しそれは、信仰の勇気を求められる警告的な預言だったのである。