エズラ記6章

6章 工事は完了した

<要約>

おはようございます。ハガイやゼカリヤの神の言葉に励まされつつ、彼らは、長年動かなかった働きを完成させるに至りました。大切なのは、主のみ言葉への従順、主のみ言葉の奇跡に与っていくことでしょう。主は約束を成し遂げるお方なのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.工事は完了した

総督タテナイ等による訴えを受けて、ダレイオス王は、過去の記録を調べさせた(1節)。すると、キュロス王の命令文書が見つかった。「宮の高さは60キュビト、その幅も60キュビト」これは、ソロモンの神殿よりも規模が大きい規格である。しかし、実際には、ソロモンの神殿よりも貧弱な建物であった、と言われるから、上限を定めたものだったと考えられている。ともあれ、こうして、イスラエルの民は、ゼカリヤが伝える神のことばのみならず、社会的・環境的な後押しも受けて、16年ぶりに滞っていた神殿再建の働きに着手した。実に、不思議なことで、神が御心とすることは、必ず環境も整えられ動いていくものなのである。

こうして、ダレイオス王の治世の第6年、BC515年に神殿は完成する。ソロモンの時代には比較にならないが、彼らは奉献式を行い、いけにえをささげた。また、神への奉仕のために、祭司をモーセの書に従って任命した。確かに「モーセの書」は、祭司とレビ人との基本的な義務を定め、彼らを区別している。しかしそこに実際的な奉仕「組」を作ったのは、1歴代誌23章で学んだように、ダビデである。ともあれ彼らは基本に立ち返って、全てを整えたと理解すべきところなのだろう。

16年間、動かなかったものを進めていくには、それ相当のエネルギーを要する。身を入れて当たらなければ、というものがある。しかし身を入れて当たるかどうか、腹が決まらない、そういう所で、私たちはいつまでもだらだらしていたりする。しかし神のことばに従っていく腹を決める時に、神は道を整え、周囲を動かし、物事が進むようにしてくださることを覚えたい。神は、「アッシリヤの王の心を彼らに向かわせ、彼らを力づけるようにされ」(22節)るお方である。

2.礼拝の再開

さて、神殿の再建と同時に、神の恵みを味わう礼拝が再開されたところに、イスラエルの人々は大いなる喜びを覚えた。私たちは神の計画のすべてを知り尽くすことはできない。神のみこころの一端を担い、それが何の意味を持つだろうかと思うことが続くことがある。教会を建て上げることは、どの教会にしても、最初は核づくりから始まる。核となる牧会チームが形成されるところから始まる。しかしその核はなかなか固まらないものであるし、人が集まっては散り、ということが繰り返される。そうこうするうちに、やっていることの意味がわからなくなることもある。妨害を受けて、物事を中断されるたびに、建て上げていることの意味がわからなくなるようなものである。しかし、その苦難を最初からあるものとして受け入れ、建て上げることから心をそらさずに、淡々と建て上げに徹していく時に、次のステップが見えて来て、今していることの祝福を味わうことがあるものだ。妨害に惑わされないようにしよう。時間が無為に過ぎていくように思われることを、驚かないようにしよう。いつでも、ポイントを押さえ間違わず、主のみことばにしっっかりと自分の心を合わせて、先に進めさせていただくことを願いつつ、淡々とできることをなしていく者であろう。

 

 

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