31章 サウル家の終わり
<要約>
おはようございます。サウルの生涯をどのように読むのか、ダビデとサウルを対比し、ダビデは神に愛され、サウルは神に憎まれたと読むべきでしょうか。私はそうは思わないのです。ダビデも、サウルも神に愛された、と読むべきで、その本質的な違いから、私たちの信仰のあり方を考える必要があります。つまり本質的な違いは、「神が闇」と思われる時に、どう生きるかにあると言えます。神は光であり、神に暗いところは一つもない。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.サウルの死
サウルの死の記録である。これをどのように読んでいったらよいのだろうか。多くの人は、ダビデとサウルを対比する。そしてサウルの失敗を、サウルの性質に帰すのが常である。妬みと憎しみに駆られて、ダビデを追い詰めようとしたサウルは自ら滅んでいった、と。ダビデの長い戦いが終わった。ダビデが手を下す必要はなく、悪者は自ら滅び、正しい者が揺るがされ、破滅させられることはない、と。神は正しく、また最善をなしてくださるお方である、と。
確かに、そのような霊的な教訓を読み取れないわけではない。神の御心に逆らい、自分の権威を守ろうとするサウル。しかし、そのサウルの性質に、サウルの失敗と滅びの原因を見ようとすることはあまりにも、同じ人間として痛ましい。というのも、そのような性質を造られたのも神ではないか。神がサウルを未熟な人間として造り、あるいはそのようにしか生きることのできない環境を許されたのではないか。それなのに、サウルの性質の故に、サウルを滅ぼされるというのは、あまりにも神が身勝手ではないか、とすら思われるのである。だがキリスト教会は、そのような注釈に実に慣らされてきている部分がある。人間の善悪を評価し、彼は悪であるがゆえに、神の裁きを受けたのだ、と。
しかし、サウルが、悪であった、というよりも、彼が神の闇に目を注ぎ続けた問題は認められるかもしれない。神は光であって闇がない、という。しかし、神は謎めいていて、人にはこれを肯定することができない時があるものだ。だから、ダビデがサウルと決定的に違ったのは、詩篇に証言されているように神が闇に見える時にも、ダビデが神に信頼し続けたことだろう。サウルに妬まれ、憎まれ、執拗に命を狙われたダビデは、先の章では、そのダビデを理解し、ダビデを支えようと共に行動した者たちにも反逆され、絶体絶命の状況に置かれている。神が善であるなら、なぜ神はダビデの足元をすくう様なことをされるのか、と思うこともあるだろう。しかしそこで、ダビデは、主の名によって、奮い立っていく。それはこの先もこの後も決してありえない、という最後の奇跡的な奮い立ちであったのかもしれないが、ダビデはなおも神の善に期待し続けるのである。
人はぎりぎりまで、いやぎりぎりを超えて、もう何の望みもないという所まで追い詰められることがある。ビジョンは薄れ、熱意が衰え、行動力の一かけらもない、という状況にまで置かれる。何もかも自分の中から枯渇していくばかりか、自分は神の呪いと神の攻撃にさらされており、この先何の祝福もないのだ、と追いつめられることがある。しかし、そうではない。そういう時もあるのだ、となおも主の愛と光を認め、主にあって奮い立ち続けていく、「主は与え主は取られる、主の御名はほむべきかな」と主に栄光を帰していく。そこに、ダビデとサウルの人生の明暗を分けるポイントがあったと考えたい。
というのも、アダムが堕罪して以来、人生は不条理なものとなったのであり、悲しいことにその不条理さの中で人間は人生を生きることを余儀なくされている。そのような中で、それを神の失敗であるとし、神の差別とエゴを思い、神を拒否るような思いで生きていく自由もあれば、なおもこの複雑で不条理な社会において、一人一人の最善を導かれようとしておられる神に信頼する思いで生きる自由もある。不条理な人生にあって、神を否定するのでもなく、迷信的に信じるのでもなく、ただ善きお方として信じていくのである。
そのような意味では、信仰者は難しい時を上手に乗り越えていかなくてはならない。そのためには、神の約束を繰り返し心に留めることだろう。神の約束にこそ希望といのちがある。そして、その神を繰り返し、呼び求めなくてはならない。私たちの人生は神の業の結果である。神の業がなされることに希望を持つためにも、祈りを持って神との交わりの時を過ごしていくことが助けとなる。
2.サウルに対する神の恵み
そして、ベテ・シャンについてのもう一つの事実を理解することがまた、しばしば神を闇と思ってしまう私たちを神へと押し出す助けとなるだろう。というのは、ベテ・シャンは、イスラエルが征服できなかった町の一つである(ヨシュア17:11)。そこは、発掘調査により、エジプトの支配下にあったが、イスラエルがパレスチナに定住するようになった時には、ペリシテ人が支配する町となっていたことがわかっている。そしてそれは深い堀で防備され、重装備の難攻不落の町であったとされている。イスラエルの国の領土とされた区域の中に、そのような町があった。ということは士師の時代がそうであったように、サウルの時代も、イスラエルは決して強力な国ではなかった。それはいつでも瓦解する危険性のある国であり、強敵に囲まれ、強敵の中に微妙な形で共存する、気弱な国家であることに間違いはなかった。要するに、それは、荒野の40年間奇跡的に守られた先祖たちと同様に、奇跡的に護られて生き延びていた国であったに過ぎなかったのである。となれば、神がいかに、忍耐深く、サウルと共にあったかを思うことが大切で、神がサウルに敵対し、ダビデに味方していたということはない。私たちは聖書の言葉の表層ではなく、真意を捉えるべきである。
事実、サウルの物語は、散々な悲劇で閉じられることはなかった。サウルの首ははねられ、遺体は、晒しものとしてベト・シャンの城壁に吊るされた。武具は、アシュタロテの神殿に、戦勝記念として奉納された。しかし大切なのはその後である。ヤベシュ・ギルアデの人々が、命の危険を犯し、サウルと彼の息子たちの釘付けにされた遺体を取り外し、ヤベシュへ持ち帰り火葬した。彼らは、かつてアモン人ナハシュに攻撃された際に、サウルに助け出された恩義を忘れていなかった(1サムエル11章)。彼らは、サウルの骨をヤベシュにあるタマリスクの木の下に葬ったという。これは、イスラエルの習慣であって、神聖な場所に丁重に葬ったことを意味している。後にその骨は、一族の墓に移されている(2サムエル21:12-14)。
考えさせられることは、たとえ、サウルのように不機嫌に満ち、憎悪と嫉妬と暴力を露わにする王であれ、神は、その死を粗末にはされなかった、ということである。サウルに恩義を感じた者たちの心を奮い立たせ、サウルの死が弔われるようにさせてくださった。また、後に、情に深いダビデを用いて、一族の墓に落ち着かせてくださっている。私たちは不誠実ではあるが、神は真実である。神の真実さに期待し、いよいよ神に近づき、神のあわれみに寄りすがる者であろう。