5章 聖別されるエルサレム
おはようございます。一連の幻は、それぞれ関連しています。流れをよく押さえていく時に、浮かび上がってくるのは、御心を成し遂げようとする神の強い意志です。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.第六の幻、神の御言葉の教育
第六と第七、二つの幻が記録されます。一つは、空を飛んでいる巨大な巻物(1-4節)。紐解かれているのでしょう。長さ約9メートル、幅約4.5メートルのものです。何かゲゲゲの鬼太郎の一反木綿を連想させますが、それは「のろい」であると説明されます。というのも、その巻物は、見上げるものに、盗みと偽り誓いの罪を告発するからです。
この二つの罪については、第七戒と第八戒に相当し、当時のイスラエルの罪を代表するものであったとする説、また十戒の第七戒(盗んではならない)と第三戒(主の御名をみだりに唱えてはならない)を示しており、隣人と神への義務を取り扱う十戒そのものである、とする説があります。いずれにせよ、神の律法が誰の目にも明らかにされ、「取り除かれる」(3節)つまり「断ち滅ぼされる」(4節)ことが起こるのです。
これは丁度先の第5の幻と対で考えるとよいのでしょう。つまり先の幻は、神を信じる者が純金の燭台として輝くものでしたが、純金を曇らせる罪は除き去らなくてはならない、罪を除き去るために、罪が何であるかを明らかに示し、知らされる必要がある、つまり、神の教えに耳を形むけよ、ということです。確かにゾロバベルによる神殿再建と、ヨシュアによる礼拝儀礼の再開の後に来たのは、エズラによる神の御教えの教育でした。
2.第七の幻、エルサレムの聖別
第七は、エパ枡の幻です。エパは、イスラエルで用いられた容量の基本単位であり、一エパはだいたい、23リットルとされます。それは、「彼らの目」であると、新改訳2017は、ヘブル語をそのまま直訳していますが、文脈に沿って「彼らの罪」と意訳する訳も多くあります。つまり、邪悪そのものを不気味に象徴するエパ升の中の一人の女と共に、罪に盲目な人々を象徴する表現なのでしょう。邪悪を閉じ込めたエパ枡の口は、鉛の重しで封印されます。そしてさらに二人の女が出てきて、そのエパ枡を持ち上げ、シンアルの地、つまりバビロンへと持ち去り、その地の神殿に安置されるのです(11節)。
当時、シンアルには偶像の神殿が建設されていたと言われます。ですから、エパ升の移動は、エルサレムの聖別、つまり聖なる者が集まる場とそうでない者が集まる場が区別されていく、ということなのでしょう。捕囚後、イスラエルの民は、全く異なった道徳基準を持つ他の民族と一緒に住まねばなりませんでした。彼らはそこに神殿を再建し、同時に神の民としても再建されなくてはならなかったのです。
これまでの流れを整理すると、第一と第二の幻がセットで、新しい世界秩序が起こることを語っています。第三から第七がセットで、これが神の業であること、エルサレムに神が人を送られ、守り(第三)、具体的にはサタンの攻撃から守り(第四)、大祭司ヨシュアを助け(第五)、神の御言葉の教育をし(第六)、エルサレムを聖とする(第七)のです。幻の中心は、エルサレムを再建しようとする神の熱心さにあります。働かれる主に期待しましょう。