10章 正しい神との関係
<要約>
おはようございます。国家が再生され、そのスタートとして礼拝が行われ、続くのが、主と盟約を結ぶということであり、その際に、イスラエルの民が決断したことが重要です。彼らの決断は、神の民としての自由を確保するものでした。主の与えてくださった自由に生きる、そこに主の祝福もあるのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.宗教的純粋性を保つ
国家の再興にあたり、まずイスラエル人が始めたことは、主との正しい関係を持つ盟約を堅く結ぶことであった。彼らは具体的に署名をした。また、実際に律法に従って歩む生活を始めるにあたり三つのことを決断した。
- 宗教的な純粋性を保つ(異宗教の人とは結婚をしない)(30節)。
- 安息日を守る(安息日の売り買いをせず、安息年の規定を守る)(31節)
- ささげ物を携えて礼拝を守る(シェケルの三分の一、初物、十分の一)(32-29節)
宗教的な純粋性を保つことは、彼らが、イスラエルの神を中心とするにあたり、まず最優先されるべきことであった。実際、結婚は生涯にわたる連帯であるから、異なる宗教を持ちながらその関係を維持するのは大変なことである。聖書は初めから正解を出してくるので、素直に従えない思いになることも多いだろうが、やはり、それは知恵ある神のことばであって、従うべきものである。ちなみに、若い時は、先を見通すことが難しく、後でこの結婚は失敗の何物でもないと思わされることもあるだろう。しかし、そこで、人生を諦めて、自ら落伍者になる必要はない。周囲の人がそのように求めても、聖書は悔い改めを要求している。神は哀れみ深く、見捨てられることはない。確かに、異宗教の伴侶を持ち、信仰の純粋性を保つことが難しい、と感じることがあっても、その現実を受け止めながら、神の権威の元に遜り、神が自分を新しく導いてくださることを期待すべきである。
2.安息日を守る
また安息日を守ること、信仰生活においては「しない」消極面だけではなく「する」積極面も大事なのだ。日本人がクリスチャンになって最も大きく変化を体験することは、毎週の礼拝に出席することである。信仰を持つ前は、日曜日と言えば、自分にとって有意義な時間を自分で決めて、自分の思うように過ごすことを考えたはずである。しかし、信仰を持つと、日曜日の在り方を決めるのは、信仰の主、神になる。神の期待に沿うライフスタイルを考えるようになる。こうして日曜日は、教会に集い神の過去の恵み深い御業を想起し、感謝し、信仰を強め、献身を新たにする日となっていく。こうした神を中心とした生活リズムは、人間の頑張りで作り出せるものではない。神との正しい関係が出来ていればこそ、生み出され形作られていくものである。
3.ささげていく
後半は、ほとんどがささげものについての記述である。そこにはもう一つの意味がある。つまり、彼らはペルシヤ帝国から帰還し、自分たちの国を再興していくにあたり、経済的な自立をまず願ったのである。彼らはペルシヤ帝国の支配を受けていたのだから、いつまでもその経済的な支援を期待することができた。しかし、そうはしなかった。むしろ、精神的のみならず、経済的にも自立した歩みをすることを願い、自らささげあった。
彼らの献げ物は、神殿の用、ことに祭司の生活のために用いられたようだが、興味深いことは、門衛、歌うたいを支えるために用いられたことである。彼らの神殿の運営は、ボランティアではなく、有償のスタッフによって行われた、ということだ。教会の経済力は、教会の働きを充実させる人を支えるものであることは理解しておく必要があるだろう。
そして教会財政に無関心であってはならない。教会を構成するメンバーの一人一人が教会の必要を理解し、教会を支えていくことを考えたい。日本の国家も、日本人一人一人が支えていくものだろう。税金の使われ方ばかりに神経を尖らせず、日本の将来を考えて、日本のミッションを支えていく国民意識が養われなくてはならないのと同じである。まず自分が、初物を捧げる。十分の一をささげる。信仰者としての習慣を実践していくことなのだ。