4章 戦う
<要約>
おはようございます。ネヘミヤたちの再建事業が始まりますが、それは、簡単にトントン拍子で進むようなものではありませんでした。むしろ取り組むべき課題は余りにも多く、瓦礫の山の前に、気力をそがれてへたり込んでしまうようなものでした。しかしそれは象徴的です。実に全てに言えることかもしれませんが、私たちの働きもそんなに容易いことばかりではないからです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.ネヘミヤたちの苦闘
「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえを献げようというのか。1日で仕上げようというのか。焼けてしまった石を瓦礫の山の中から拾って、生き返らせようというのか。」(2節)ネヘミヤたちの再建事業は始まった。しかし、それは遅々と進まず、周囲の住人にあざけりを受けるようなものであった。
日本の教会開拓の現状を思う時に、そのような遅々と進まぬ状況にある教会というのは、実に多いと言わなければならない。7年で100人以上の会衆が集まるようになり、立派な新会堂を建設した、というような話もないわけではないが、多くは、瓦礫の山を片付けるような、実に報われない思いをする働きであったりする。神の働きであるのに、神の栄光が危められていると思うようなものであったりする。しかしそれは、神が原因ではなく、自分の力のなさである、と思うようなことがあるだろう。
そうであるとするならば、まさにネヘミヤたちが、そのような労苦を通り抜けたというべきではないか。ネヘミヤたちの再建事業は颯爽と始まったかのようであるが実際には、そうではない。彼らの再建事業は、手を汚さない類のものではなかったのだ。
「荷を担ぐ者の力は弱り、瓦礫は山をなしている。城壁を築き直すことなど、私たちにはできない」(10節)。彼らは自分たちにこの主に与えられた使命を果たす力はない、と嘆いた。しかし、あきらめてしまったらそれまでである。ネヘミヤたちが、この状況に、どのように立ち向かったのかに注目しよう。
2.ネヘミヤたちの対応
まずネヘミヤは神を見上げるように勧めた「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい」(14節)。実に、教会を建て上げるのは、神の御業であり、聖霊の働きである。私たちの力ではない。神の誠実さに期待すべきであり、あらゆる妨害において、「私たちの神が私たちのために戦ってくださる」(20節)という信仰を働かせなくてはならない。全てが主にかかっているかのように、主に声をあげるのだ。
第二に、成功談を多く聞くことがあっても、現実の戦いを否定しないことである。自分のように能力がないからこんなことが起こっている、と嘆かないことである。むしろ、何事も困難はつきものと腹をくくって、戦い勝ち取る覚悟を決めることだ。城壁を築く者たちは、片手で仕事をし、片手に投げ槍を堅く握っていたとされる(17節)。また、「夜明けから星の現れるまで、槍を手にしていた」(21節)、「私たちの中のだれも、服を脱がず、水場でもそれぞれ投げ槍を持っていた」(23節)ともある。つまり、彼らは緊張感をもって、戦うべき時には戦うのだ、と逃げ出さずになすべきことに向かっていった。祈りとみ言葉に励まされて、取り組むべきことに取り組むことだ。
そして「こうして、私たちはこの工事を進めた」(21節)とあるように、自らの本来の使命を達成することに集中していくことである。敵を警戒し、敵と戦うことばかりを考えていてはだめである。教会を守ることだけではなく、教会の歩みを先に進めることに集中することである。否定ではなく肯定していく。敗れているように思われることがあっても、淡々と神の誠実さを信頼し、神の恵みを待ち望みながら、進めるべき駒を進めるのである。つまり、今日も神とよき時を過ごす礼拝を目指す、今日も神とよき時を過ごす祈祷会を目指し、実現させていく。常に、この教会には、良き礼拝とよき祈祷会が守られている、教会の再建はまさにそこから始まるのであり、そこに神の子たちも集められると言えるだろう。