ペテロの手紙第一5章

5章 長老と若者へのススメ
1.長老へのススメ(5:1-4)
最後にペテロは、教会の長老と呼ばれる人々、つまり今日で言えば牧師ですが、指導的な立場にある人々に語っています。使徒パウロも、テモテへの手紙の中で、長老の資質について語っていますが、ここでペテロも、長老の心構えについて語るのです。三つのことがあります。
①まず義務的にではなく自発的に教会の働きをしていきなさい、と言います(2節)。人から言われて動くような長老ではだめで、自分から気づいて物事を進めていくことだ、と言います。
②次に卑しい利得を求める心からではない働きをしていきなさい、と(2節)。これは、何でもただで引き受けなさいと言っているわけではありません(1テモテ5:17-18)。むしろ、役得をむさぼることを戒めているのです。
③最後に支配しようとしてではなく模範となる働きをしなさい、と言います(3節)。指導的な立場に立つと、ただ権限を振り回す人がいるものです。しかし、教会の指導者は司令官ではなく、養育者です。期待されていることは、神のみことばで一人一人を養い育てる力をもった指導者です。自らキリストのいのちに生き、神の恵みの広さ、高さを同じように味わうことを助けることのできる指導者です。
2.若い人々へのススメ(5:5-
次に5節から、ペテロは、若い人たちをはじめとする信徒たち全体への勧めを書き連ねます。大きく四つあります。
①従うこと。すでに、ペテロは「従う」ことをこの手紙を貫くテーマとして繰り返し語ってきました。政治的権力に服従する(2:13-17)、奴隷が主人に従う(2:18-25)、妻が夫に従う(3:1-7)、長老が神に従う(5:2)、最後に若い人が長老に従う(5:5)です。若い時代に、人に仕えることを学ぶことは大事なことでしょう。というのも、仕える人の気持ちを理解して、初めて、人の上に立つこともできるからです。ここをすっ飛ばして、人の上に立つような人は、結局思いやりを欠いた指導者になってしまうのではないでしょうか。
②謙遜であること。神の力強い御手のもとにへりくだる、それは神が与えられた訓練の期間です。ちょうど旧約時代のヨセフの物語を思い出すところです。兄弟に憎まれて奴隷に売られ、さらに主人に誤解され囚人とさせられたヨセフが、どのようにそこから解放されたかを思い出したいところです。何かねじ伏せられるかのような境遇に置かれた時には、全ては神から出ていることと心得、神の解放の時を信頼して待ち望むことです。
③思い煩いを神にゆだねること。そして、神が心配してくださっていることを理解できるようになることです。神の愛を深く味わう、この恵みを味わうチャンスは残された地上の時以外にありえません。
④悪魔に抵抗する。ペテロは迫害下にあるキリスト者に、今あるこの敵対的な動きは、やはり人間の敵対心というよりも、人間をそのように駆り立てる悪魔的な力にあるのだ、と言いたいのでしょう。人間を敵としてはいけない、人間を悪魔的にするサタンの力を意識せよ、そしてその力から人々が解放されるように祈れ、これは霊的な戦いである、と言うのでしょう。神は必ず勝利を与えてくださる、と。
目には見えませんが、確かに神がおられる、その神は正しく、恵み豊かな方である、そのように信仰を持つことで、苦難に耐え、また、家族、友人、近隣の人々に、神の平安、恵みをもたらす人でありたいものです。神の恵み、それは、確かな祝福だからです

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「旧約聖書のメシヤ預言は、二つのことを語っています。一つは十字架の苦難に与るメシヤ、もう一つは何でしょうか。」答えは、万物の王、支配者です。イエスが最初にこの世に来られたのは、十字架の苦難を通して救いを達成するためでした(イザヤ53章)。このメシヤは、万物の王、支配者として再び戻って来られるのです(イザヤ9:6)では、今日の聖書クイズを一つ。ペテロが自身の手紙の中で、バビロンということばを象徴的な意味で使っているようです。実際にはどこにいたと考えられているでしょうか?①ローマ、②エペソ、③コリント、答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

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