マタイは、イエスに対する反応の一つとして、ヘロデ・アンティパスのそれを加える。ただエピソードは回顧的に描かれている。国主ヘロデは、2:1のヘロデ大王とは違う人物である。彼は最初の妻を離別して、異母兄弟ピリポの妻と結婚することになったのだが、それは律法を破ることであった(レビ18:16)。ヨハネの抗議は、ユダヤにおけるアンティパスの信望を傷つけることになったのである。アンティパスは自分の不名誉を感じつつも、ヨハネの正しさや高潔な人柄を認めざるを得ず、躊躇するところもあったのだろうが、最終的には自分の意に反する形で、またこれもユダヤの律法に反する形で(裁判もなされずに)ヨハネを処刑してしまうことになる。ヨハネの死はイエスに報告された。
イエスは、それを聞くと、寂しい所に行かれたという。神の子であるイエスが、世の横暴とその不条理を思い知らされた時であろう。ヨハネとイエスの母たちは親交があり、あるいは、幼い頃は遊んだ時もあったのかもしれない。そのヨハネがヘロデの娘の気まぐれに殺されていくのである。それはイエスの傷心を癒す旅であり、神と語らう時であったのかもしれない。ただこれ以降、イエスは、「ツロとシドンとの地方(15:21)、「ピリポ・カイザリヤの地方」(16:13)へと出ていくのである。もはやイエスはヘロデの領地を離れ、兄弟ピリポの領地へと出ていく。ヨハネの死後、イエスに弟子入りしたヨハネの弟子たちの不安を静め、弟子たちにいよいよ本格的な信仰の訓練を与えるには、ちょうどよい場所であったとも言える。
ところが、そんなイエスを群衆がさらに追いかけていく。ただただ、目が見えるようになりたい、不自由な手足が動くようになりたい、重い皮膚病が癒されたい、そんな御利益的な要求をつきつけて、イエスに群がった。にもかかわらずイエスは彼らを深くあわれんで、彼らの病気を治されたという。その心のエネルギーや、いったいどこから来たのであろうかと、イエスの強靱さに驚くばかりである。しかし、祈りにこそイエスの秘密があったというべきなのだろう。乗り越えがたい出来事を乗り越えるためには、神の力に触れる以外にない。
また15節、5000人の給食の出来事は、確かに、イエスの驚くべき奇跡であり、それは荒野のマナの奇跡に等しい。信仰はただ霊的な慰め、励ましを意味するのではない、それは、日毎の糧を満たす手段であると考えて間違いはない。精神も物資も、神は確かに満たしてくださるお方で、期待を持って祈るべきである。ただ、このエピソードには、イエスのメシヤ性を認める内容があることにも注意すべきだろう。旧約においてエリシャという預言者は、20個のパンで、100人の人を養う奇跡を起こしている(2列王4:42-44)。つまり、群衆にもヘロデにも拒絶され、否定されたイエスが旧約の預言者に等しい存在であることを示している。またヨハネの福音書では、既に述べたように神がイスラエルを養った荒野のマナ(出エジプト16章)を想起させるのみならず、聖餐を象徴する物語として語られている。つまりこの奇跡は明らかに「メシヤの祝宴」の象徴として語られている。散らされた者たちをキリストのもとに一つに集め、祝されることの象徴的な出来事である。イエスは、パンを「取り」「祝福し」「裂き」これを「与え」られた。終末における世の終わりにあって、メシヤであるイエスは、全人類の家長となり、あらゆる民族、国語、人種の者たちの集まりを迎え、祝されるのである。
続く湖上の嵐の出来事は、この5000人の給食の奇跡と密接に結びついている。マタイはここに、他の福音書にはない、ペテロが水の上を歩きたいと語った独自のエピソードを加えているが、それは弟子たちに信仰を教える実践教育となっている。信仰を糧として歩むことは、ある意味で、常識的な人生を超えた歩みをすることである。全く望み得なき所に、望みを抱いてなおも先へ進む歩みをすることである。それは、風を見て怖くなるような、様々な惑わしがある中で、ただ私たちの家長であるイエスを注視することによって可能となる歩みである。問題は、この信仰を現実に働かせることを、私たちが意思するかどうかである。教会にあってこの世にないもの、それは信仰である。信仰を用いることこそ、神の子の特権であり、祝福である。今日も一切の必要を満たされる神に、大いなる期待を持って歩ませていただくこととしよう。