マタイの福音書15章

1節、「そのころ、パリサイ人や律法学者たちが、エルサレムから」とある。彼らはガリラヤで活躍するイエスの噂を聞いた。すでに、11章から見て来たように、イエスに対する様々な反応があった。そしてイエスを認め、イエスに本気で付き従う者たちも多くなった。彼らは、本格的にイエスの働きを評価するために来たのだろう。いや、もっと緊迫感のある状況、いわゆる新しく起こりつつある宗教的な熱狂について弾圧する意図もあったのだと思われる。ともあれ彼らはイエスの弟子たちが「長老たちの言い伝え」、つまり旧約聖書とは別に口伝で言い伝えられてきた律法を、犯していることを問題にした。
福音派の伝統としては、新約聖書の背景を知ろうとしたら、旧約聖書が重要であるとなるだろう。しかし、1世紀のイエスの時代のユダヤ教の実態は、旧約聖書だけでは説明のつかない部分がある。つまり彼らが旧約聖書に関連して築き上げ、後にラビ文書(ミシュナ、タルムード)として完成されたものや偽典(第二神殿期ユダヤ教文書群)、さらにミドラシュ(ラビによる旧約聖書注解)と呼ばれるものがあり、それらが、旧約聖書以上に彼らの信仰に拘束力を持つようになってきていた事実がある。つまり彼らが問題にしていたのは、旧約聖書の教えを犯していることよりも、当時のユダヤ教最高議会サンヘドリンの長老たちの言い伝えに反する「反教会的態度」であった。
だからイエスの反応は、「言い伝え」の権威そのものを問題にした。「言い伝え」のために「神の戒め」を犠牲にしてはならない、と。4節の二つの戒めは、それぞれ出エジプト20:12、21:17からの引用であるが、神のことばを隠れ蓑とし、人間の罪を助長するような「言い伝え」に権威を置いてはいけないのである。聖書だけが、信仰と生活の唯一の権威であり、規範なのである。
11節よりイエスは、真のきよめが何であるかを語ろうとする。心と腹は別ものである。人が汚れているか否かは、口から何を入れるかの問題によらない。洗わない手で食べるか否かではない。むしろ、その人が既に持っている心の問題だ。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりが心にあるなら、それ自体が人を汚していく。実際それは口に出、手に出、足に出、目に出るからだ。実に、人が聖いか汚れているかどうか、ということは、私たちが神の前でどのような心の真実さをもって歩んでいるかにかかわっている。心の中に、真実に神を愛し従う心があれば、いずれその霊性は、まことの光を放つようになる。霊性は、日々の日常性の中にこそ現されるものであり、よい考え、愛、誠実さ、与えること、励ますこと、そういった内面が口や足や手、そして目に現れることである。
21節からマタイは、一人の異邦人の女の信仰を取り上げている。マタイらしく、ここでも奇跡のエピソードは簡略に記されるのみで、対話部分が大きく取り上げられる。異邦人の女は、悪霊にとりつかれた娘のいやしをイエスに願ったのであるが、イエスは、自分の働きの焦点はユダヤ人にあって、異邦人にはないことを告げている。「犬」は、当時のユダヤ人のことばでは異邦人をののしることばであったが、態度までそうであったかはわからない。イエスは自分の使命ではないことを示されたのだと思われるし、また、ほとんどおどけて、そういう言い方をしたのかもしれない。あるいは女の反応を見ようとしたのかもしれない。ともあれ、異邦人の女は、そのようなイエスのことばを意に介さなかった。むしろ、イエスの前にひれ伏して、ユダヤ人に対する異邦人の立場を弁えて、自分は「犬」のようなものであるかもしれないが、「犬の分」だけは受け取らせてほしいと寄りすがるのである。イエスは、その神に向かう信仰の姿勢を認められた。神はからし種の信仰を認められるお方である。
この異邦人は神により頼むことを知っていた。一方先のパリサイ人は神を求めているようでありながら、そうではなかった。彼らは神のことばよりも、人の言い伝えに囚われて生きていたのである。続く七つのパンと魚の奇跡は、2度目の給食の奇跡であるが、イエスがパリサイ人や律法学者たちとはいかに違うものであるかを明確にするものである。イエスはただ神により頼むことを教えた。イエスは、神が恵みであることを教えた。その恵みは異邦人にすら及ぶ豊かなものであることを教えた。キリスト教信仰は、教えられたことを守ることが中心なのではない。神が恵みであることを教えられ、そこに期待し、その恵みに応じて行動するようになることが中心である。しかし、すでに第三サイクルで見たように、旧約聖書そのものが、神が恵みであることを伝えている。旧約信仰は、実は、律法ではなく契約が中心であり、契約は神の一方的な恵みとして結ばれているものである。それは新約の新しいイエスの契約においても変わらない。神の恵みに応答し、神の御言葉に従い生きることが信仰生活の基本である。

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