マルコの福音書13章

13章は、小黙示録と呼ばれ、大きく四つに分けられる。第一に、世の終わりを告げる導入(1-4節)。続いて、世の終わりにどのような前触れが来るか前兆の説明(5-23節)。第三に世の終わりそのものが何であるかの説明(24-27節)。最後に警告(28-37節)である。

ヘロデの神殿は、BC20-19年頃に建て始められ、完成までに50年ほどかかったと言われ、イエスの時代には、まだモリヤの山頂に建設中であった。当時、山の頂上を平らにする土木技術はなかった。そこで、山の頂上を巨大な石造りの壁(長さ13m、高さ4m、幅6mの白い石を組み合わせたもの)で囲み土台を作り、その上に神殿を建てる建築方法が取られていた。その敷地面積は450×300m。神殿の下には深さ75mのチロペオンの谷があり、長さ51m、幅17mの橋がかけられていて、ハシモン宮殿に続いていた。実に大規模な建築工事である。弟子たちを驚かせたのも無理はない(1節)。それは人間の力を誇示し、永久に光の中に立ち続けるかのように思われた。けれどもイエスは、そこで、はっきりと語る。これはやがて、ことごとく崩れ去るもので、その日が来ようとしていると。

事実AD70年、ローマ軍によるエルサレム包囲と攻撃によりそれは徹底的に破壊された。今日エルサレムで見る神殿跡には、ヘロデの神殿時代の礎石とその後に修復された壁石の違いがはっきりわかり、破壊がいかに激しいものであったかを知ることができる。歴史家のヨセフスの『ユダヤ戦史』によると、この時9万7千人が捕虜となり、110万人が飢餓と剣によって滅ぼされたという。また、12節、ローマ帝国に密告する裏切りがあり、家族を初めとして人間の絆が崩壊する悲惨な出来事であった。イエスの預言は成就し、安全を求めて都に群がって入り込んだ人々は死に、イエスの忠告に従って、丘に逃れた者のみが助かったという。

ところで、イエスの預言には未来的な要素がある。26節の記述は、どうも、まだ実現されていないイエスの再臨が預言されている。つまり、聖書の預言には二重性があって、当時の人々に対する、近い将来についての預言と私たちにも関わりのある遠い将来についての預言、つまり終末についての預言が重ねられている。だから、4節からの前触れは、私たちにも関わりのある終末の日の前触れについて書いているものと読むのがよいだろう。

そこにはだれにでもわかる一般的な前触れと、クリスチャンのみに関わる特別な前触れとがある。一般的な前触れは、イエスの名を名乗る者、いわゆる偽キリスト、偽預言者が現れること。戦争と戦争のうわさがあること。地震が起こるということ。飢饉が起こることだ。ルカは、これに疫病を加えている(12:7-11)。また証拠としての特別な奇跡があることを加えている。

第二の前触れ、クリスチャンのみに関わるものは、クリスチャンにとっての困難があることである。彼らは捕らえられてその信仰を証言させられる。大切なのは、迫害の本質は、信仰の真価を問われることにある。世の終わりは、破壊的なことが色々と起こるのだが、クリスチャンにとっては、信仰そのものを問われる時となる。「いまここ」で、私たちがどのような神との関係を築いているのかが、そのまま来る終末においても問われることになる。となれば、終末の日がいつであるかは、非常に曖昧に描かれているのだが、曖昧のままでよいということにもなる。絶えず目を覚まして、神との関係が築かれていれば、終末の日は、いつであっても喜びを持って迎えられることになるだろう。

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