ヨシュア記22章

ヨシュア記22章 東側の民の記念碑
<要約>
おはようございます。ルベン族、ガド族、マナセの半部族の三部族が、約束の地カナン占領の戦いに出ていく前に約束したことがありました。彼らは、その約束を最後まで守ったことがわかります。彼らに見る神の民の性質は、約束を守り抜くそれであり、また理性的に対処し物事を解決するそれであります。神の民がいかに人生を生き抜くか、教えられるところではないでしょうか。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安

 イスラエルの戦いが終わった。神は最後まで約束を守られた。そしてルベン族、ガド族、そしてマナセの半部族もまた、初めに他の民と交わした約束を守り続けた。彼らは、いよいよ、自分たちの土地、ヨルダン川の向こうに戻っていく。
1.自己中心性を乗り越える
 この世に、他人の苦労をしょってくれる人間などなかなかいるものではない。そういう意味で、彼らは、自分たちの安住の地を、ヨルダン川を渡る以前に手に入れながら、他の部族の戦いを共に戦う約束を守ったのだから、奇特な心がけを成し遂げたと言わなければならない。それは、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださったイエス・キリストを思わせるような働きである。普通、人は余計な苦労は負いたくないと思う者であろうが、神の民の特色は、罪人の性質である自己中心性を乗り越えていくことだ。人間自分のことばかり考えるのは自然なことで、それが人間といし舞えばそれまでであるが、そのような罪の現実に聖霊の助けによって乗り越えていく、主の聖めの歩みを進むのがキリスト者というばきであろう。自分の損得を考えて物事を進めていく世間の中にあって、神の民のあり方は、助け合いであり、しばしば損をするような仕事にも協力していく。イエスの弟子になることは、クレネ人のシモンのように十字架を負える人間となることである。大切なのは、パウロが勧めるように、具体的な主の兄弟姉妹に対する愛を実践することだ(ガラテヤ6:10)。何か不特定多数の人類愛に燃えるのでも、世の人々に殊更愛想を振りまくのでもなく、今まさに共に生きている、共に教会を建てあげている兄弟姉妹に対する愛情を忘れないことだ。そうすれば、私たちの姿を見て、世の人々がそこにイエスの弟子であることの証を見るのである。
2.真実をクールに語る
 ところで、彼らは、ヨルダン川の向こうに戻っていくと、そこで、新しい祭壇を築いた。それは、他の部族には、異なったいけにえをささげるための、神に対する反逆とみなされた。そして彼らがまさに攻撃を受けようとした時に、それは、いけにえをささげるための祭壇ではなく、自分たちの歴史の確認としての、また証拠としての祭壇であることが説明され、理解されていく。つまりヨルダン川の東側は、果たしてイスラエルの一部なのか、わからない時代が来るようなことがあってはいけないということであった。その説明は、イスラエルの地にただ一つの祭壇のみを求める他の民族の理解を得るところとなった。
 大切なのは、衝突が回避されていく際の双方の態度である。レビ、ガド、マナセの半部族を誤解し、攻め滅ぼそう憤った他の部族には、感情的になりながらも、彼らの説明に耳を傾ける心があった。よくありがちなのは、相手の弁明に耳を貸そうともせず、ただ一方的に敵対感情をエスカレートさせ、相手を攻撃してしまうことである。一度感情的に反応してしまうと、もはや理性的な判断力を一切働かないことがある。せめて、また聞きで物事を判断せず、問題を感じる当事者から素直に事情を聞く心を持ちたいものだが、まずはそういうことはない。
しかし、神の民はそうではないし、クリスチャンになり神の子とされたのならば、この事例を範とする心は持ちたいものだ。ルベン、ガド、マナセの半部族が自分たちの弁明を始めた時に、今まさに攻め立てて滅ぼそうという憤りの内にあった神の民は、静かに耳を傾け、語られることを理解していくのである。一方的に聞かされた話を鵜呑みにせず、直接確認する心を持つかどうか真の神の民の証拠でもある。
神の民、いわゆるクリスチャンも色々である。イエスは今の世にあっては、神の民の中に独麦も混じっていると語ったが、あるいはと耳を傾ける力が真の神の民の性格としてあることが、神の民であることの証なのである。何かお互いの間に折り合わぬことが出てきたら、そこでお互いに耳を傾けあうことができるか、そして神にあって一致できるか、重要な点である。
そしてこうした彼らの態度の根本に、やはり「主にすがる」という価値観が深く養われているところがあることに注目すべきなのだろう(5節)。徹底して、私たちの働きは人間の力によるものではない。人間は、迷い易い者であり、弱い者であり、愚かな者である。ただ主にすがる者であることを自覚し、そのように生きるところに人間が物事を正しく進めていく力がある。神の民は、実にクールである。理性的な知恵者である。人間的弱さを弁えながらも、物事を建て上げる心を持った者として歩ませていただこう。

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