ルツ記1章 ナオミとルツ
<要約>
おはようございます。今日からルツ記に入ります。ルツ記は、士師記の補足です。それは、後味の悪い、痛ましい記録を読んだ後に、ほっと安堵感と希望を与える内容を描いています。生けるまことの神に対する信仰を持つということが、あらゆる人間行動の基本であり、愛情の基礎でもあることを考えさせてくれます。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.ルツ記について
1節、「さばきつかさが治めていたころ」とあるようにルツ記は、士師記の補足である。ヨセフスの古代史によれば、エリの時代の物語とされる。ボアズから四代目にダビデが生まれているから、ほぼ1150年頃の物語である。そこには、士師記に描かれた不法や争い、流血の風景は無い。一庶民の素朴な信仰生活が描かれている。不信仰と無秩序の時代にあって、迷いながらも主に信頼しつつ歩む、信仰者の歩みを読みとることができる。しかしそれだけではない。士師記が、続くイスラエル王制への序章となったように、ルツ記は、新約におけるメシヤ誕生の背景を記し、その意味を説き明かしている。
2.エリメレク一家に起こった不幸
さてイスラエルの地に飢饉があった。そこで、エルサレムの南八キロ、ベツレヘムに住むエリメレクの一家は、妻と二人の息子と共に、モアブの野に移住した。そこは、ベツレヘムから約100キロ、ヨルダン川を渡った、死海の北東高原地帯あたりに位置する。北は、アルノン川、南はゼレデ川に挟まれた地域である。トランス・ヨルダン屈指の農業地帯であり、小麦や大麦を産出し、ぶどう栽培に適し、羊ややぎの牧畜が盛んであった。
しかしエリメレクは、妻ナオミを残して死んでしまった。寡婦となったナオミは、モアブ人の女を、二人の息子に妻として迎えた。モアブ人は、アブラハムの甥のロトとその姉娘との間に生まれた子どもの子孫であり、イスラエル人やアモン人とも血縁関係にある(創世記19:39)。こうして彼らは十年の歳月を過ごしたが、二人の息子も先立ってしまった。
二人の息子の名は、「病める者」を意味するマフロン、そして「消えうせる者」を意味するキルヨンで、まるでその人生を象徴しているかのようである。異国の地で一切を失ったナオミを(21節)、その地に引き留めるものは、夫と二人の息子の墓だけとなった。ナオミは、人生に何の希望も抱けず、その心は抜け殻になっていた。ナオミは言う。「主の御手が私に下った(13節)。全能者がわたしをひどい苦しみに会せた(20節)」と。もはや、神に期待はできない、神に見捨てられているのだ、そんな思いに満ちた心に何の希望があるだろう。しかし、そんな現実に、置かれることは、ナオミばかりではない。
3.ナオミの転機
ナオミにベツレヘムから豊作の知らせが届いた。故郷に戻れば、また新しい人生も開けるかもしれない。ナオミは、荷物をまとめて、故郷へ旅立っていく。旅の途上、ナオミは二人の嫁に自分の国へ帰るように勧めた。それぞれ自分の家に帰って、再婚し、平和な再出発をするように促すのである。ナオミは言う「新しい夫の家で安らかに暮らせるように」(8,9節)。安らかにと訳されたヘブル語は、メヌハー、ナオミは、二人の未亡人の生活の安全を考えたのである。実際、モアブ人の嫁がイスラエルの地に住み、生計を立てていくのは困難であった。ユダヤ人はが律法によって外国人との結婚を禁じられていたからである(申命23:3)。彼女たちがモアブを出るなら、再婚して夫の保護を受ける可能性は断たれてしまう。その現実の厳しさと二人の嫁の幸せを考えればこその勧めであった。もはや歳を取ったナオミに、二人の嫁たちにしてやれることは何もなかった。だからナオミは二人を説得した。
4.ルツの信仰告白
弟の嫁オルパは、この勧めに従った。しかし、兄嫁のルツは、あくまでもナオミについて行くと拘った。夫に先立たれたルツは、同じく夫に先立たれたナオミの将来を、強く案じたのであろう。今日のような社会保障のない時代であれば、寡婦の老後を気遣う人間的な思いはよく理解されることである。しかし聖書は、それ以上にルツが、ナオミの愛する神を見上げ、ナオミと心を一つにしてその神に仕えたいと考えていたことを明らかにしている。ルツは、告白した。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。(16節)」ナオミと行動をともにすることは、モアブ人のルツにとっては最悪のシナリオになりかねないことであったが、それ以上に、ナオミの信じる神が、ルツの心を捕えていた。可哀そうだけでは、物事は続かないし、解決にはならない。損得で動くことも同じである。何事かを成し遂げる行動には、皆崇高な深い動機が必要である。
ルツは安易な将来よりも、神に生きる信仰の生涯を選択した。キリスト教信仰に導かれるというのは、キリスト教の思想に賛同する以上のことである。それは、聖書が語る生ける神に信頼することであり、その神に従う人生を生きることである。「ナオミが死ぬ所で自分も死に葬られたい」と堅く決意するルツをナオミは受け入れる他なかった。神に堅く結びついて、どんな苦労も共に乗り越えるという同労者の心意気は、人の心を動かすものとなる。