レビ記14章

14章 ツァラアトの治癒宣言

皆さんおはようございます。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。今日は14章、ツァラアトの治癒宣言に関する儀式について語っています。彼らは癒されたことがわかるとかつての共同体に戻ることが許されました。しかし、ただ癒された、よかった、戻れたというのではなく、そこに祭司の任職に似た儀式が加えられる。つまり新たな使命を与えられて戻されたことに注目したいものです。今日も、皆さんの上に主の平安があるように。

1.罪の型としてのツァラアト
 ツァラアトのきよめの儀式が丁寧に書かれている。ツァラアトは、罪そのものではないし、罪の象徴でもないが、罪の型として見なすことができる。実際ダビデがバテシェバとの関係で姦淫と殺人の罪を犯し、苦悩していた時に、「ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば、私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなります」(詩編51:7)と語ったのは、決して、この儀式とは無関係ではなかった。手に負えない、罪ののろいは、ツァラアトに苦しむことに重ね理解されるのである。罪の始まりは、ツァラアトと同様、極めて潜行性が強く、かなり習慣化してしまった後に、露見し、気づかれることが多い。深刻なものは、一生涯影響を与え、ひいては霊的死を引き起こしてしまう(ヤコブ1:15)。つまりツァラアトの型の本質は、神や信仰共同体から、罪人を追放し、隔離してしまうことである。
 もちろん、ツァラアトばかりではない。人間を死にねじ伏せる病は皆、私たちに罪ののろいの何であるかを考えさせる。人間がいかに罪に対して無力であり、罪の故にすべてを失おうとしているか、その現実を思い知らせるものがある。
 ただ日本人は、そのような罪をなかなか感じることができない。しばしば罪は、恥とすり替えられてしまう。何か社会的に不名誉なことをした時に罪を犯したのだと考えてしまう。あるいは、人には知られたくない悪事が暴かれた時に、社会的な制裁を加えられるような事態に陥った時に、それを罪として感じるところがある。しかし、それは世間の目を気にし、世間の基準から外れてしまったことへの羞恥心であって、神の前に自覚し、悟らされ、自ら恥じ入る罪とは違う。だから、信仰を持って、クリスチャンとしての歩みをするにしても、常に気になるのは、神の目であるよりも、牧師の目であったり、他の信徒の目であったりする。要するに人を意識して、人前で体裁を整える程度の宗教になってしまう。しかし真実な信仰は、神ご自身に出会うことなくしては不可能である。罪は、神の基準にそぐわぬこと、自らを神とすることにその本質がある。神の前における人間的な奢り、高ぶりがそうであって、それが、いかに私たちの人生を汚し、私たちの人間関係を破壊し、さらに、私たちの生産活動、慈善、奉仕の一切を空しいものにしているかに気づかねばならない。
2.きよめの儀式(4-8節)
 以上のようにツァラアトを罪の型として理解するならば、治癒宣言のために行われる一連の儀式も、聖なるイスラエルの共同体への回復を本質的な意図とするものであることがわかる。
そこでツァラアトの治癒宣言においてまず最初に行われるのが、一羽の小鳥を屠り、もう一羽をその小鳥の血に浸して野に放す、いわゆるきよめの儀式である。ここに、キリストの十字架による救いの型がある。つまり、土の器に入れた湧き水の上で小鳥のうちの一羽を屠るは、イエスキリストの受肉、つまり神が人となられ、エルサレムの町の外、ゴルゴダの丘において、私たちの罪の赦しのために十字架にかかり、死なれたことの象徴である。また、もう一匹の鳥が、その血を受けながら空に放たれることは、帰巣を意味した。ツァラアトの者がこれから経験するであろう、新しい生活、つまり以前の自分の生活の再会を象徴すると理解されたのである。キリストの型として読むならば、それはキリストの復活の力に与ることを意味する。
3.償還の儀式(10-13節)
 続いて、償還の儀式が行われる。それは、債務の返還、つまり出来た借りを返すための儀式である。ツァラアトに侵されていた人は、共同体から締め出されていたので、神殿にも行けず、色々なささげ物をささげる機会をずっと失い続けてきた。それは、神に対する借りとなっていた。そこで、宿営に戻ることが許された病人は、その借りを返すために、三頭の傷のない子羊を、全焼のささげ物、罪のきよめのささげ物、罪過のささげ物としてささげることが求められたわけである。ちょうど、何か事情があって月定献金をため込んでしまった人が後でまとめてささげるようなものだろう。
4.任職の儀式(14-20)。
最後は、祭司の任職に似た儀式を受けるよう定められた。祭司の任職においては、その血を祭司の右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗る。それによって祭司は、ささげ物と同一視され、罪人である自身に死に、新しく復活した者として奉仕することが象徴された。右の手は、力の象徴である。だから血塗られた耳たぶは、神のことばを聞くために、同じく手は神の奉仕に携わるために、足は、主の庭を歩くために聖別されたことを意味していた。また油注ぎも、聖別のための聖霊のバプテスマを意味するものであって、それらは、主の奉仕者とするためには、なくてはならないものであった。
きよめられることは、品格が整えられるのみならず、神の奉仕者としてふさわしくされることである。きよめを品性の問題とするならば、律法学者がそうであったように、結局は自分の品性を誇りとする罪の中に舞い戻ってしまう。しかし、きよめられることは、神の奉仕者となり、神に生きることを意味している。罪から救い出されることは、神のしもべとなり、神の有用な器となることである。宿営の交わりに戻されることは、その人が、変えられた者となって民の中に戻ってくるためである。オネシモがそうであったように、役に立つ者として、かつてのキリスト者の交わりに迎えられることである。信仰の歩みを個人的なものとせず、教会を建てあげるために変えられたことを意識したい。変えられてきよいと宣言されることは、あなただけではなく、教会においても祝福となる事柄なのである。
なお、21-32節は、ツァラアトに侵された人が貧しい人の場合の手順、33-57節は、ツァラアトが家屋に広がっている場合の手順を扱っているが、考え方は、先の三つの手順を踏むことに変わりはない。ただ考古学的に興味深いのは、新改訳2017が、「漆喰」という訳語を使ったことである。古代近東では、漆喰を塗る作業は日常的であった。古代エジプトでも、またイスラエルでも建物にフレスコ画を施すことができる滑らかな壁を用意するために、漆喰を施した。イスラエルの家は、石造りでしばしば泥で壁を覆ったので、春と秋との雨季に落ちてしまうのが一般的であった。しかしBC11世紀あたりから、パレスチナの家屋の内装の内張りをするために石灰岩が用いられ、少量の砂を混ぜて、極めてセメントに近い混合物が作られ、いわば漆喰が使われるようになった。また水溜や家庭用の貯水池の場合、パレスチナではそれがBC13世紀に一般的なものとなり、これもまた王国時代までには石灰の石膏で覆うように内張がされるようになった。だから出エジプトの年代を、BC13世紀の早期説とするなら、漆喰が使われる文化的状況も理解できるが、BC15世紀とする後期説となると、まだ漆喰以前、泥壁の時代となるので、果たして漆喰と訳してよいものかどうか、第三版のように、「削り落とした土」程度の訳でよかったのではないか、と思うところでもある。

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