パウロは、この福音のために選び分けられ「使徒」とされた、と言う。パウロの持っている賜物や、彼の育ち、教育、経歴のすべてが、彼の使徒としての奉仕のために、神に備えられたものだ、と言う。実に人の人生は、無秩序に営まれてきたかのように思われたとしても、決してそうではない。キリスト者になった今のために、つまりあらゆる国の人々が、神を信じ、神のみこころに従う歩みをするようになる証人となるために、導かれてきたものである。
というのも、そのように召し出してくださった御子は、地上の卑しい生涯を歩まれながらも、神の大能によって死者の中より復活され、約束の救い主としてご自身を明らかにし、今ここに新しい天の御国の現実をもたらした栄光の主だからである。パウロの脳裏には、ヨハネ同様、やがてあらゆる国民、部族、民族、国語の者たちがキリストのもとに一つにされ、主を礼拝する時も間近し(黙示録7:9)、という深い確信もあったことだろう。その礼拝の祝福に、あらゆる人々を招くために、私の人生も、あなたの人生も導かれてきた、と考えたいところである。しかもこれは、新しいメッセージではない。すでに創世記の初めから示唆され(3:15)さらには預言書の中で繰り返されたことである(イザヤ1:18、53章、55章)。
そのようなイメージを描きながら、地上の一教会ローマへとパウロは目を転じている。彼らもまた神に愛されている人々、神に同じ使命に召されている人々である。そして、ローマの教会のために、パウロは感謝と祈りをささげている。パウロは自らが開拓した教会に対する関心と祈りはもちろんのこと、そうではない教会に対しても、その心遣いを忘れないでいた。
パウロがこの手紙を書いたのは、第三回伝道旅行(AD57年頃)の過ぎ越し祭りの前、エペソから追い出されるように出て来て、コリントに滞在していた三か月間(使徒20:3)であったとされる。パウロはここからローマ、さらにはスペインに伝道しようと計画をたてていたが、その前に、エルサレムの貧しい同朋に、ギリシア各地で集めた献金を届けようと、まさに逆方向へ出発しようとしていた。それだけに一層ローマの教会に対して後ろ髪を引かれるような思いにもあったのだろう。とりあえず、パウロは、ローマの教会へ挨拶を書き送り、御霊の賜物を分かち合いたい、互いに信仰によって励ましを受けたいとその思いを表明している。
しかもパウロは、ローマの教会を建てたわけではなかった。パウロは自分の知らない人々が集まる教会へ手紙を当てている。つまり、彼には少なくとも、事前に挨拶を送ると同時に、自分の素性を明らかにする必要があったことだろう。そしてキリスト者にとっての素性は、その人がいかなる信仰を持っているかを明らかにすることが重要となる。キリスト者にとって、学歴も、肩書も、所有もどうでもよいことである。だから彼は、自分の信ずるところを述べている。彼がローマに福音を伝えたいのは、負債を負っていると考えるためである(14節)。確かに、人は歳を取ればとるほどに、自分がいかに多くの恵みの中で生きて来たかを思わされるものだろう。返しても返し尽くすことのできない恩がある。そのお返しとして最も相応しいものは、いのちの福音を語ることである。神の力である福音を分かち合うことだ、というのがパウロの思いであった。
そこで、16、17節、パウロは、福音についての要約的な説明をする。福音には神の力が現されている。それは、信じるすべての人を救いに導くものである。そして、福音には神の義が示されている。つまり、神が、私たちの救いのためにしてくださったことが示されている。信仰によって、この義に応答することが、私たちの救いになるのだ、という。
いや、それは、パウロの主観であり、想像でしょう、ということもあるだろう。だから、パウロは、18節「というのは」と福音がいかに価値あるものであるかを語るために、私たちの現実から、つまり人間の失われた現状から、これを細かく語ろうとしている。ローマ書は、16章とそれほど長くはない、しかし、じっくり内省的に、パウロの語りとつきあっていきたいところである。なお、19節以降、あげられている罪のリストは、私たちの心の現実を深く指摘する。私たちは自分の心の内を見つめるのは苦手である。心の汚れを感じても、そんなものは誰にでもあるものと軽んじてしまう。しかし人は、自分の内面を見つめ、己を知り、乗り越える苦しみを通してこそ成長するのである。パウロ共に、この旅路を進むことにしよう。