この16章は、ローマ人への手紙の一部ではなく、ローマ人への手紙(1-15章)に、加えて別に書かれたフィベの推薦状であったと言われる。フィベは、ケンクレヤにある教会のメンバーで、ローマにこの手紙を運んだ女性執事であった。彼女はルデヤのような(使徒16:15)、多くの人の支えとなった存在であった(2節)。以後、パウロが26人の個人、そして五つの家族の名前を数え上げ、挨拶を送っているのは、そのフィベをローマの教会の兄弟姉妹に紹介し、温かく彼女をもてなすように頼む意図もあったと思われる。
しかし、パウロがまだ一度も訪れたことのない町である。パウロがどうしてこれほどの人を知っていたのか、疑問視する声もある。そこでこれがローマではなく、エペソに宛てて書かれた別の手紙であったのではないか、と考える者もいる。実際、プリスカとアクラが聖書に最後に出て来る場面は、エペソである(使徒18:26、1コリント16:19)。またエパネトも、「アジアの初穂」とされている。つまり、小アジアでのパウロの最初の宣教の実であるとしたら、ローマではなくエペソとすべきだろう。また、17-20節にあるローマ教会への警告と勧告は、使徒20:28-31で、パウロがエペソの教会の長老たちに語った告別説教の内容に近い。実際ローマ教会に生じていた交わりの緊張状態は、非ユダヤ人の信徒がユダヤ人の兄弟に対して優越した態度を取り始めたことによるもので、ある種の異端によって引き起こされたものではない。
それでもこれがローマへ宛てられたものの一部である、と考えられるのは、7-15節にあげられた多くの名前の碑銘がエペソよりローマにあるという理由である。特に、「アンプリアト」(8節)、「ウルバノ」(9節)、「アベレ」(10節)、「ナルキソの家」(11節)、「トリファイナとトリフォサ」「ペルシス」(12節)、「ヘルメス」「パトロバ」「ヘルマス」(14節)、などの名前の研究からすればローマ説が有力なことと、先の17-20節は、現に起こっていることというよりは、これから起こる侵入者への警告と考えれば、矛盾はない、と思われるからである。
ともあれ、パウロの交友関係について言えば、それは、浅く広くでも、深く狭くでもない、広く深い付き合いと思わされるところがある。実際には、この世の社会ではどうであるかはわからないが、少なくともキリスト者間では、そういう広く深い付き合いは成り立つことだろう。というのも、キリスト者である、ということは、その出発点にまず自分の罪を認めて、悔い改めることがある。イギリスの説教家スポルジョンは、「自分自身が何者でもないことに満足しよう。なぜならば、それが諸君自身の姿だからである」と語ったが、まさに、私たちは、素直にその言葉を受け入れている者に他ならない。自分は、取るに足らない、誇るところの何もない者だ、そのような遜りのある人が集まっているのだから、自分を飾る必要も、背伸びした付き合いも不要である。この世の社会では自分の弱さを見せたら最後、あるいは、過去の失敗など決してさらけ出せないところだろうが、ありのままに自分を語り、分かり合い、受け入れあっていくのがキリスト者の世界である。そうであればこそ、自然に深い関係も育っていく。
何年も教会に通い続けながら、毎週日曜日、当たり障りのない会話をして帰るだけ、の信仰生活は実に惜しい。教会員としての特権と祝福を味わい損ねている。パウロは、宣教するだけが能ではなかった。彼にはいつでも、キリストにある新しい関係とキリスト者たちの共なる生活の分かち合いを豊かに進めていくことへの関心があった。教会は、キリストを頭とし、一人一人が教会の体の一器官として、互いに愛し、労り合い、励まし、支援し、分かち合い、仕え合う場である。
13節のルポスは、マルコ15:21に名前が出てくる人物と同じなのだろう。ただ、もしそうであれば、イエスの十字架を担ったシモンの経験が彼と彼の家族に救いをもたらしたと考えられる。「彼と私の母」という表現は、ルポスの母が、パウロに身内のように関わってくれたことを意味する。パウロには、神の栄光のために完全に自分自身をささげた同労者たちがいた。今日、日本のキリスト教会に求められているのは、こうした、神にささげきった人生を歩むキリスト者の存在である。この年になって思うことは、自分が満たされることだけを考える人生は結局いつか虚しさを抱えるようになることだ。自分の飽くなき要求に愛想が付くのだ。人は本当に、人の力になる人生を生きない限り、あるいは神を愛する人生を生きるのでない限り、決して満たされることはない。自分にとって都合の良い限り教会や教会の人とお付き合いするという発想が自分にはあるのだ、と気づくなら、神にささげていく人生を歩むことの第一歩となりうる。
17節から20節はすでに述べたが、聖書の教えではないものを教え教会を混乱させる者たちへの警告である。教会は皆が皆、信仰の徒であるわけではない。キリスト者とは名ばかりで、中身は世俗的な人間や、さらに、積極的にキリストのしもべの姿を取りながら、教会を騙そうとしたり、混乱を引き起こそうとする者もいたりする。それは、サタンの業である。だが心配することではない。教会の平和は、神が守ってくださるからだ(20節)。
21節からは、パウロの同労者からの挨拶である。彼らは英雄たちであった。テモテは、パウロの「信仰の子」であり、多くの困難を分かち合ってきた仲である(ピリピ2:19-24)。ルキオは、ヤソンとソシパテロと同様ユダヤ人の仲間である。テルテオは、パウロの口述筆記をした書記、ガイオはパウロがコリントに住んでいた時の家主(1コリント1:14)で、彼の家では家庭集会が開かれていた。エラストの名は、福音が身分の低い人たちの間だけではなく、高い人たちの間にも広まっていたことを伺わせる(1コリント1:26-31、6:9-11)。
最後の祝祷は、パウロが書いたものの中で最も長いものである。26節の奥義は、福音を意味する。エペソでいうユダヤ人と非ユダヤ人の合一という意味での奥義(3:6)ではない。「福音」は私たちを一つにするが、それは何よりも、私たちに霊的な変革をもたらし「強くする」のである。大切なのは、私たちは何者でもなく、強くする神である、ことだ。神の恵みと祝福によって、この教会も建てあげられてまいりたいものである。