伝道者の書10章

10章 不本意なことが多すぎる

おはようございます。伝道者の書の著者の視点は、確かに私たちの人生の矛盾を様々についているところがあります。賢く生きることが何の益になるだろうか、というように。そんな著者に反論せず、しばらく彼と共に人生の矛盾を考えてみたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.不可抗力

1節、死んだはえが香油をだいなしにするように、少しの愚かさが、大きな損失をもたらすことがある。愚かさの原因は、心にある。「右」は、救いや霊的な事柄の象徴であり、「左」はその逆である。知恵ある者と愚か者とでは、心の向きが全くもって正反対である。

問題は、そうした愚かさを持った者に関わらねばならぬ時である。愚か者が上に立つこと自体が災いであるが、その彼があなたの上司であなたに立腹したならどうすべきか。4節、冷静に物事の推移を受け止めていくしかない。狼狽えず、逃げ腰にならず、忍耐を働かせることだ。それは驚くことではない、不本意な不可抗力と同じである。

世の中にはそのようなことで溢れている。実際、畑で石垣の作業に取り組んでいる時に、蛇に噛まれる可能性がある。穴を掘る仕事をしている人が、思いがけない事故に遭うこともある(8節)。採石場で働いていれば、落石事故があり、伐採場では倒木の危険がある(9節)。蛇使いのまじないが蛇にかからないことだってあるだろう(11節)。人間の知恵が役に立つのは、斧が鈍くなったら研ぐことを思いつく程度のものではないか(10節)。人間の内的力など本当にたよりのないもので、一人の暴君の前には、何ともしようがない。

2.計算通りにはいかない

愚かさは、無謀性、無計画性、そして見通しの甘さに現れるものであるが(12-15節)、言葉の習慣においてもそうである。「愚か者はよくしゃべる。」愚か者は、聞く値打ちの無いことを話し、余計なことをしゃべって自ら身を滅ぼすだけだ。

そのような愚かな者が上に立つようなことがあったなら、それは災いだ。国にとって必要なのは成熟した指導者である。しかし若輩者の王が、助言者のことばも評価せず、自らの欲望を満たすためだけのことをし、その取り巻きのエリートたちも無責任な者たちであったりするなら、その国は滅びる(16節)。もちろん、仕事を進めるように規律ある生活を心がけている人々のいる国は安泰である(17節)。規律が緩んで、腐敗した国、金銭が正しく用いられない国は、危うい(18節)。

だから、そんな愚かな指導者を呪いたい気持ちにもなるだろう。でも、そんなことを考えてはいけない(20節)。日本的に言えば「壁に耳あり、障子に目あり」ということだろう。陰で呪ったりしてはいけない。絶対漏れないと思うような会話が、盛れてしまうことがあったりするもので、人生には全く予測付かないようなことがおこったりする。

伝道者は、淡々と人間の知恵が役に立たない、人生の現象を語り掛けてくる。それは、預言者や、新約の使徒たちとは全く違う視点である。だが、それは、多くの正直な人間の代弁である、と言うべきだろう(つづく)。

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