使徒の働き12章

そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようと、手をのばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺し、さらにペテロを捕らえたとある。「そのころ」というのは、漠然としているが、おそらく、アンテオケ教会が設立された頃、さらに、バルナバとサウロがアンテオケからエルサレムに派遣された頃のことを指している。またここで言う「ヘロデ王」は、ヘロデ・アグリッパ1世のことで、ヘロデ大王(マタイ2:1)の孫のことである。彼は、AD37年に王の称号を与えられ、41年に事実上パレスチナ全土の王となり、44年に死んでいるので、ここに記された事件は、その4年間に起こったことなのだろう。
彼は、ユダヤ人の支持を得ようとして、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。ヤコブは使徒の中で最初の殉教者となったが、それはすでに預言されていたことである(マルコ10:39)。ヘロデの教会弾圧政策をユダヤ人は歓迎した。というのも、彼らは、異邦人との関係を深めていく教会が気に入らなかったからである。教会はユダヤ人の偏狭な民族主義、排他主義から脱皮し始めていた。こうした時代背景のもとに、ヤコブの手紙が書かれている。たとえキリスト教会がユダヤ主義から分離したとしても、旧約聖書が捨て去られることはない。弟子たちが伝えた福音は、旧約にすでに明らかにされた神の救いの計画の実現だからである。時代は変わり、人も変わる。しかし、イエスによって示された福音は、変わらず体験され、受け継がれていくのである。
さて為政者の横暴はそんなに簡単にとどめられるものではない。しばしば、キリスト者であっても、その身の安全を確保されないことがある。ヤコブは殉教しペテロは投獄された。しばしば神の力を求めながらも、神は思うようには動いてくれず、時代や社会の荒波に飲み込まれてしまうことがあるものだろう。イエスは主の祈りの中で、「われらを悪より救い出したまえ」と祈るように勧められたが、祈れども悪意と敵意の罠に絡め捕られて、踏みにじられる他はないことがある。しかしそれはイエスの十字架のしもべとなり、キリストの痛みを分かち合う時なのでもある。神のみこころに自分をささげきる時なのである。また教会が心を合わせて一致した祈りをささげる時なのである(12節)。
また、この物語から、私たちは、不可能性の中にあって主に信頼すべきことを学ぶ。ペテロは、監視付きの鉄格子の中にいた。さらに、二本の鎖につながれて、二人の兵士の間に寝ていたという。脱出不可能ということである。ところが、神に不可能はない。種なしパンの祝いの時期(約一週間)であったが故の投獄であり、祭りが終わったら引き出されて殺されることが決まっていた。法的な弁護の機会は与えられず、また裏取引がなされる可能性もなく、救出のための特殊部隊がいるわけでもなく、これが三度目の投獄、ペテロはもう絶体絶命の中にあった。しかし、教会は彼のために諦めず熱心に祈り続けていたという。そして主はその祈りに応じた。ペテロは、牢獄から神の不思議によって解放されていく。しかしペテロは、解放されたこともわからずにいた(9節)。神の介入とはそういうものだろう。私たちの問題は永遠に続く、私には救いはないと思わされるような事が多い。しかしある時、はっと我に返るというか、自分を取り戻して、神が働いたのだとしか思いようのないことが私たちの人生には起こりうる。神を信じる人生には望みがある。
もちろん、神のみこころはよくわからないところがある。神はペテロを助けられたが、ヤコブの殉教は許された。なぜかそれはよくわからないことである。しかしながら、神は正義であって、ヘロデ王の自分を神とするような横暴な態度はいつまでも許されることはない。
ツロとシドンの人々は、どうやらユダヤと経済的な依存関係にあったようである(20節)。そこで、ヘロデ王のために、和解を記念する式典を開いたのだろう。参列者は、王をまるで神のように崇めたてた。すると生殺与奪の権を持つと奢り高ぶり、神に栄光を帰さなかったヘロデは、主の使いに打たれて死んでしまった。人は神に代わることはできない。神は高ぶる者を退けられる。そして神に敵対する者を滅ぼされるのである。
ともあれ不正に甘んじる時があろうとも、そこで正義を行われる神にすべてを任せて、またすべては、神の支配の中に正しく、秩序をもって行われることを信頼しながら、自分のなすべきことを淡々となさせていただく、ことが大切である。目先の苦労や、試練にではなく、神の永遠のご計画の流れの中で、しっかり神の側に立ち、神を恐れ、しっかりと神のみこころを成し遂げる歩みをさせていただきたいものである。

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