使徒の働き23章

パリサイ人ということばは、ヘブル語のパラース(分離)から派生したことばである。サドカイ派、エッセネ派とともに、ユダヤの3大宗派の一つで、中流階級に属する者が多く、律法を厳格に守ることを特色とした。パリサイ派は、純粋に宗教的な党派で、復活や御使い、霊の教理も受けいれる保守派であったが、サドカイ派は、祭司的な貴族階級に属する、親ローマの政治的な党派で、考え方もリベラル進歩的で、理性的に受け入れられない教理は否定していた。イエスに出会う前は、パリサイ派の教師として活躍していたパウロには、両者の主張点の違いや関係の難しさは十分理解されていたことであろう。パウロは、この二つの党派の主張点の違いにつけこんだ。
問題はパウロが自分をパリサイ人と呼んだ点である。確かに復活の教理において、パリサイ派とキリスト者は一致し得たが、救いの教理、つまり律法理解においては全く異なるところがあった。だからパウロは、パリサイ派からナザレ派(イエス)に転向したのである。イエスは、サドカイ派のみならずパリサイ派も敵に回して処刑されたが、パウロは、パリサイ派の傘の下に隠れてかろうじて生き延びたとしかいいようがない。それはパウロの弱さのため、あるいはよく解釈して、積極的に宣教の機会としようとしたため、さらには、ルカがユダヤ教とキリスト教の連続性を示そうとこのエピソードを残したため、と様々に議論されているが、私はパウロには、日和見的な議論を利用することのできる、いわば弱さがあった、と考えてよいのではないかと思う。
ともあれ事態は、激しい論争となり、パリサイ人の中には、「私たちはこの人に何の悪い点も見出さない。もしかしたら、霊か御使いかが彼に語りかけたのかもしれない」とパウロに味方する者まで現れたという。彼が積極的にこれを宣教の機会としたとしても、結果的に彼の運命は変わらず、拘束されたまま、さらにカイザリヤへと護送される結末になった。
独房に入れられながら、パウロは後悔したのかもしれない。パウロの心情は語られてはいないが、そんなパウロに神が寄り添って「勇気を出しなさい」と励ましたことが記録される。パウロにとって、この経験をルカに語るとしたら、やはりこの神の一言が一番心に残った記憶だということなのだろう。確かに、最悪の事態において、それが弱さの結果であれ、番狂わせの事態であれ、神はそこに新しい人生を継ぎ足してくださる。私たちは、結果を気にしすぎるところがある。ああこんな結果になるんだったら、あんなことしなければよかった、と。しかし、あんなこともこんなことも神のご計画の内である。すべての結果は神のみ許しの中で起こっている。実に、人生を生きるのなら、神のご計画に生きることが得策なのだ、と考えさせられるところである。
さてパウロは、先に弁明を許されていたが、23章の後半では、ただ、引き立てられていくだけである。彼は一言も弁明が許されずに、ただ運命に身を任せるほかなかった。事態はさらに悪化した。そんな場合にはどうしたらよいのか。
第一に、抗うことをやめることである。神に身を任せることである。抗えば抗うほどに、私たちはみじめな姿をさらけ出し、混乱し、冷静に物事を考えることができなくなるだろう。神の真実さにゆだね、私たちの重荷を神の御手にゆだねるとよい。
第二に、神の平安を求める時である。弓矢を貼りっぱなしにすれば弓矢がだめになる。人間も緊張しっぱなしであれば壊れてしまう。緊張から解き放たれる最初のステップは、神のみ言葉の中に静まることである。それは、ティーパックを熱いお湯につけることに似ている。カップにお湯を注いで、ティーパックをお湯につけると、次第に紅茶の色が広がり、香りが広がる。同じように、私たちのこころに、神のみことばのティーパックを付けていくなら、神のみことばの味と香りが私たちの心の中にじわじわと広がる。そのように完全に広がるまでに静かに、神の御言葉を味わうのである
パウロは、陰謀にさらされた。しかし、神はパウロを守られ、導かれる。パウロは、エルサレムから60キロメートルほど離れたアンテパトリスへと護送された。歩兵200人、騎兵70人、槍兵200人、全部で470人からなる大部隊である。一人の囚人の護送に随分な人数と思われるが、パウロに対する危険の大きさは相当なものだった、ということなのだろう。ただ、歩兵や槍兵は、最初のエルサレムから外に出るまでの危険なところだけ同行した、ということもありうる。また、26節からの千人隊長の手紙は、実際にルカがその手紙を入手したわけではなく、最もありそうな手紙を作文した、と言われている。確かにその可能性は否めないし、「次のような」(25節)は、次のような趣旨の、という意味であろう。ともあれ、主に身を委ねたパウロは、主に守られた、そこが大事なのだ。そもそも考えてみれば、エペソから、エルサレムに戻らず、そのままローマへ行けばこんなことにもならなかっただろう。この期間たるや、数か月、数年のロスである。それでも神は、パウロがエルサレムに帰るのをお許しになった。そしてまたローマへと向かわせるという。人生には無駄に思えることが多い。しかし、おそらく、聖書には記録されなかった、つまり私たちには知らされなかった出会いと救いもあったのかもしれない。神のご計画は計り知れないものがある。また神は私たちが判断を誤ったと思うようなことをも用いてくださる。いつでも、主が私たちを最善に用いてくださるよう祈る心をもって歩みたいものである。

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