初子の聖別が命じられる。聖別というのは、神のために特別に選り分けてささげることを意味する。つまり神の所有とせよ、と言う意味である。また初子を神にささげるのは、「初穂」をささげることと同義であり、それは一部をささげることによって全体を聖別することを意味している。過越節と(3-10節)初子をささげる儀式(11-16節)の細則が述べられるが、注目すべきは、「覚えていなさい」という主の命令である。
「主が力強い御手で、あなたがたをそこから連れだされた」事実を覚えていなさい、という。実に、人間は忘れ易い。神に愛されたこと、よくしてもらったことを忘れてしまう者だろう。しかし興味深いことは、イスラエルの民が追跡の恐怖の最中で、紅海脱出の奇跡を経験するのはまだ先のことである。つまり、「これは、私がエジプトから出てきたとき、主が私にしてくださったことのためなのだ」(8節)と神がよくしてくださったことを覚え、「手の上のしるしとし、額の上の記念とする」(9節)工夫をもって、絶えず意識していくようになるのは、これから先のことなのである。それなのに、救いだす神の力強い御手を覚えるように命じられている。まだ味わいもしないことを信仰によって覚えることが求められている。つまり信仰によって踏み出してこそ、覚える恵みもついてくるのだ。
今日もユダヤ教徒は文字通りに解釈し、革ひもに小箱がついたものを腕と頭に巻き付けている。腕用のものは、「テフィリーン・シェル・ヤ―ド」、額用のものは「テフィリーン・シェル・ローシュ」と言い、箱の中には出エジプト記13:1-10,11-16、申命記6:4-9、11:13-21羊皮紙の巻物が入っている。ユダヤ人は朝の祈祷の時にこれをつけて祈るという。確かに形になっていれば覚えやすいということはあるが、逆である。覚えたいものであるからこそ、形にもする。しかし覚えたいと思うようになるには、神の恵み深い言葉を信じて踏み出すことがなくてはならない。どこまでも信じて踏み出し、確かに救ってくださったという恵みに与ってこそ、記念の儀式も、工夫も活きてくる。つまり隠喩として語られていることの本質を理解すべきところであろう。
モーセとイスラエルの民たちは、ラメセスを出発し、約束の地カナンへと踏み出した。当時、エジプトからパレスチナに向かう道は、三通りあった。第一に、地中海を海沿いに北上する「海の道」。エジプト人は「ホルスの道」と名づけたが、聖書では「ペリシテ人の国の道」と呼ばれている。エジプトからパレスチナへ徒歩で約2週間の最短経路で、エジプトの軍隊が駐留する軍用道路であった。つまりその道は守備隊によって厳重に警戒されていた。第二の道は、「海の道」に平行し、内陸を通る「シュルの道」である。かつてエジプト人の女奴隷ハガルがアブラハムの家から逃れ、エジプトに向かったのは、この道であったとされる。主として遊牧民や商人が往来する商用道路であった。第三の道は、現在では巡礼者の道として知られている道で、スエズ湾からアカバ湾へとシナイ半島を横切る、最も内陸よりの道であった。
神がイスラエル人を進ませた道は、当時使用されたこれらの道路ではない。聖書は、「葦の海」を渡ったということ、「荒野の路」を通った、と述べているだけで、正確にその地点や経路は述べていない。ただ、様々な考古学的な研究でわかってきていることは、葦の海というのは、スエズ湾先端付近で、そこからスエズ湾に沿って、逆三角形のシナイ半島を南下し、シナイ半島の先端にあるシナイ山で折り返してアカバ湾沿いに北上、パレスチナに入ったということである。なぜこんな経路を通ったのか。実際的に考えてみれば、200万以上の人口が一気に移動するわけだから、シュルの道や巡礼者の道という普通の商用道路では狭すぎて間に合わなかったし、軍用道路を進んでエジプトの軍隊と衝突することもできなかったというのはある。しかし、神は、常に私たちの思いを越えている。神は神の道、つまり人が踏みゆかない全く新しい葦の海を奇跡的に渡る道を用意された。神と共に歩む人生は、人が踏みゆかない地に道をつけるような歩みである。そして主が先に進まれる。「雲の柱、火の柱」は、神の臨在を意味している。雲はおそらく暗闇と同じように、神の神秘性を、火は神の聖性を象徴する。そのような神が、民の真中に臨在されながら、その歩みを先導し、苦しみのエジプトから引き出されたのである。