アブラハムの時代、死海の沿岸にソドム、ゴモラ、アデマ、ゼボイム、ゾアルの五つの都市があった。ソドムはその中でも最大で、死海は「ソドムの海」とも呼ばれた。ただしその位置は明らかではない。通説は、死海南部、エル・リサン半島の南方で、大きな地殻変動のために湖底に沈んだと考えられている。実際、その地の発掘調査の結果、BC2300-1900年頃に巡礼地のあったことがわかっている。ただし、「ヨルダンの低地」(創世記13:10)を死海北部に限定し、この説を否定する見解もある。
死海は南北約75Km、東西約18Km、面積は約1020平方Km、琵琶湖二つ分の大きさの湖である。海面下約400mで、世界で最も低い地点に位置している。ヨルダン川から注がれる水量は一日約600万トン、しかし高い気温によって蒸発するため、水位は一定である。一方湖水の塩分濃度は、普通の海の約8倍で、棲息する魚はいないとされている。旧約聖書では他に「アラバの海(申命3:17等)」「東の海(エゼキエル47:18等)」と呼ばれている。
ロトがアブラハムと別れて既に20年以上過ぎていた。その日ロトは、自宅に旅人を迎え入れた。それを知ったソドムの人々が、ロトの家を取り囲み、性的関心から旅人と会うことを求めたのである。ロトは、自分の娘を身代わりにして対応しようとした。ロトは安全を保証してもてなす約束の掟を破るよりも、娘を犠牲にすることを選んだのである。もちろん、町の人々がそれを断ると予測したのであろうが、常識的には受け入れがたい行為である。先にアブラハムに裁きの意志を告げられた神であったが、ソドムには正しい者が十人もいなかった。神はソドムを滅ぼそうと決意される。主の使いが、ロトにこの町から脱出するようにと命じる(12,13節)。だが、ロトは迷った。娘婿たちも「冗談のように思われた」とあるが、神の怒りの結果がどんなであるかを罪人は感じられないでいるものだろう。主の使いたちが、ロトと妻と二人の娘の手を取って彼らを引っ張り出し、町の外へと導いた(16節)。全く神の哀れみによる救いであった。警告どおり主は、ソドムとゴモラの方、低地全体に硫黄の火を降らせ、これを滅ぼされた。
死海の南には岩塩で出来た山々、通称「ソドムの山」が険しくそびえたっている。伝説によると、古代のソドムはこの山の中に埋もれ、罪人たちは岩塩に化してしまったとされる。神の命令にそむいて振り返ったロトの妻も塩の柱となってしまった(17)。イエスが、「ロトの妻を思い出しなさい」(ルカ17:32)と教訓を与えているように、これら岩塩の柱は、ユダヤの人々に、神を畏れることの重要さを示すものとなった。
神とともに生きる人生の結果はすぐには見えてこない。しかし、やがてその差はおのずと明らかになる。まさに積み重ねの結果が形になる。アブラハムとロトが別々に歩み始めたことは、別々に歩む積み重ねがなされた、ことでもある。一方は、いつも神を恐れ、神と共に歩むことを求める。もう一方は、世と世のものを愛し、神に背を向けて歩んでいく。その積み重ねの結末が何であるかをこの物語は教えている。ロトの最初は華々しかったが、その結末は、洞穴での生活という最悪の老後となっていく。ただ神はこのような落伍者にでさえ、滅びの穴から逃れるための努力を惜しまれないお方なのである(29節)。
ロトは、その後、娘によってモアブ人とアモン人の先祖となった(申命2:9)。ロトの娘たちは、ソドムの社会の風潮に影響されていたのであろう。その時代、その地域の文化に支配された考え方で、異常と思われる判断すらしていくのが人間である。モアブとアモンは、後に、イスラエルの歴史上最悪の性の誘惑(民数記25章)、宗教的冒涜(レビ18:21)をもたらす存在となる。私たちの性は変えられない。しかし、神はあわれみ深い。このモアブ人の子孫、ルツを通してダビデが生まれ、アモン人の女ナアマがソロモンの妻となってレハブアムを産みやがてメシアを迎えることになる。罪の故の不名誉な結果が、いつまでも繰り返されることはない。ルツは語った、「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神」(ルツ1:16)。神を呼び求めるところに、神のあわれみがあり、新生がある。神はご自身を呼び求める者を滅びの洞穴から、まさに滅びの悪循環の中から救い出される。