サラは、聖書において年齢や埋葬されたことが記された唯一の女性であるという。127歳で死んだサラのために、アブラハムは、「悼み悲しみ」泣いたという。「悼み悲しみ」はヘブル語でサーファド、胸を打って悲しむ、の意味である。アブラハムに復活の希望はなかったのだろうか。いや、復活の希望を語られたイエス・キリストでさえ、友ラザロの死においては、涙を流している。罪の結果である死に際して、悲しむことは自然なことである。自分の悲しみや痛みを偽らないことである。神の臨在のもとに十分悲しめば、気持ちも整理されて、イエスによって語られた復活の望みを受け入れる準備もできるからだ。
本来ならば、何の希望も起こらないところであろうが、キリストのいのちに生かされているなら、復活の望みに心を寄せることができる。人間は、肉体と魂を与えられて、この地上に存在させられるようになったのであるが、再び神は、人間に、新しい体を与えて、ご自身の御国に迎え入れてくださる(1コリント15:38)。このような信仰の確信に立つことは、自らの力ですることではない。神がそのような確信に立たせてくださる、神の恵みの業に与ることである。私たちにできることは、神に対して自分の悲しみをあるがままに一切合財、語ることだろう。そうすれば、神が恵み深く、私たちの心を不思議な形で取り扱ってくださり、永遠のいのちの希望に心が溢れるようにしてくださる。そして、死者のそばからたちあがる力を与えてくれる。死は、永遠のいのちに至る門である。人間は死んで終わりではない。永遠に生きる者であり、復活によって、神の前に立つ。そのような意識で今日一日を歩むならば、それは流して終わるような一日にはならない。
アブラハムは、サラのために私有の墓地を所有した。墓地は、人間が確かに生きた証となる。そして、これまで半遊牧民族の生活をしていたアブラハムが、ここで、初めて法的に、約束の地に所有権を持ったことに注目したい。神の約束は果たされた、ということでもある。
アブラハムが妻を葬ったヘブロンは、エルサレムの南南西30キロ、海抜約1000メートルの丘稜地帯に位置する、もともとはキルヤテ・アルバと呼ばれ、水が豊かでぶどうの名産地とされる。アブラハムの時代には、ヒッタイト人が住んでいた。ヒッタイト人を巡っては様々な説がある。しかし、アブラハムの時代、いわゆる族長時代のヒッタイト人は、パレスチナの先住民族であったらしい。ともあれアブラハムはその地に住むヒッタイト人エフロンから、銀400シェケルで墓地を買ったという。シェケルは、最もよく使われた度量衡の単位であり、三種類のシェケルがあった(王のシェケル:1シェケル約12.28グラム、通俗のシェケル:1シェケル約11.38グラム、聖所のシェケル:約10グラム)。通俗のシェケルで計算するとだいたい、4,552キロ。これは驚くべき高額であるとされる(舟喜、p182)。「それなら私とあなたとの間では、何ほどのこともないでしょう」(15節)とは言うものの、裕福なアブラハムにとってもどうでもよい額ではなかった、と言うわけだ。しかし、アブラハムはそれでも値切ることはしなかった。それは、約束の地をも儲かりものとして得るのではなく、相当な理由で手にすることをよしとしたからなのだろう。
大切なことは、人は、損得を考えやすい。楽をして儲けられたらよいと考えやすい。しかし、それが間違いのもとである。人間、ただ金を使ったり、それに乗っかったりするようになったら堕落である。アブラハムは、たとえ神の約束であっても、それは人間が正当な代価を払って得るものであると考えた。私たちの信仰の祖がそのような考え方をしたことに感謝したい。「顔に汗を流して糧を得」(3:19)る。そんな一日としよう。