創世記41章 ファラオの夢と解きあかし,ヨセフの救い
1.ファラオが見た夢(41:1-44)
人が忘れても、神がお忘れになることはありません。献酌官長がヨセフを忘れ去ってから、二年が経った頃、神はファラオに二つの夢を見させました。第一の夢は、醜く瘦せ細った七頭の雌牛が、つやつやした、肉づきの良い七頭の雌牛を食い尽くすものです。第二の夢は、しなびて東風に焼けた七つの穂が、よく実った七つの穂を吞み込んでしまうものです。目が覚めたファラオは、心落ち着かず、朝になって、エジプト中の呪法師と知恵者を呼び寄せました。もともと呪法師は、「鉄筆をふるう者」「刻む者」「書く者」の意味で、そこから「知識を持つ者」を意味するようにもなりました。その場合もちろん知識とは、呪術、占星、魔術などで、それらによって個人や国の将来や運命を告げる人というわけです。しかし、彼らにはファラオの夢を解き明かすことはできませんでした。そこで、献酌官長が思い出すわけです。かつて自分の夢を解き明かした人物ヨセフがいたことを。そして、彼はファラオにそのことを伝えました。神の時が来たのです。ヨセフが監獄から呼び出されていきます。
ところで、ヨセフは「夢を見る者」とあだ名されました。それは、蔑称でもありましたが、直訳すれば「夢の主」です。こうしてヨセフは、夢を自由に解き明かす者としてファラオの前に立つのです。そしてヨセフは言うのです。16節「私ではありません。神がファラオの繁栄を知らせてくださるのです。」ヨセフは弁えていました。自分の学んだ知識や知恵によって夢を解き明かしているのではなく、神が夢の秘密を解き明かしてくださったことを、だから神のなさろうとしていることに応答するように呼び掛けています。つまり、エジプトに七年間の豊作があり、その後七年間の飢饉が続く、だからこの、飢饉に備えて食物を蓄えるようにと、進言します。時を動かす神がおられるのです。ヨセフの解き明かしは、ファラオとすべての家臣を納得させました。またファラオは、即座にヨセフを大臣として抜擢します。おそらく、実際には飢饉対策特任大臣であったのでしょう。
2.解放されたヨセフ(41:45-57)
さらにファラオは、ヨセフにエジプト名ツァフェナテ・パネアハを与えました。それは「世の救い主」を意味します。そしてオン(あるいヘリオポリス)の祭司ポティ・フェラの娘アセナテを妻として与えました。オンはカイロの北方16キロ、現在のテル・ホスンとされ、歴史的に重要な町です。祭司や医者の学校などがあり、エジプト文明の中心地です。後に出てくるイスラエルの大指導者モーセもまたこのヘリオポリスで教育を受けたと考えられています。ともあれヨセフの名はエジプト中に知れ渡るようになりました。ヨセフ30歳の時です。
なおヨセフを大臣としたファラオの名は、よくわかっていません。通説は、第15王朝のヒクソス時代の王とされています。というのも、ファラオが、ヨセフの家族をゴシェンの地に住まわせたことは、首都がその地方にあったヒクソス王朝時代を暗示するからです。また外国人(セム人)であるヨセフが重要な地位につけたのも、ヒクソス王朝が東方からの侵入者であり、純粋なエジプト人でなかったためというわけです。ただし、羊を飼う者たちがエジプト人に忌み嫌われていたこと(46:34)、ヘブル人とは一緒に食事をしない(43:32)習慣などは、ファラオが純粋なエジプト人であったことを示唆する可能性もあります。つまり、ヒクソス王朝以前の時代のファラオであった可能性もありますが、ヒクソスが征服民の習慣を踏襲したことも考えられるので、よくわかっていないわけです。
ともあれ神のヨセフに対するお取り扱いをよく考えたいところでしょう。神は私たちを困難という炉で鍛え、新しい人生へと召し出すお方です。ですから、苦難にあっても慌てないことです。神を信頼し続けること、直ぐに結論を出そうとせずに、神の時が熟するのを待つことです。今日も、神の最善に期待してまいりましょう。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「献酌官とは、どのような仕事をする人であったでしょうか?」答えは、王に酌をする官吏です。一種の毒見薬で、王を陰謀から守る護衛でした。イスラエル人ではネヘミヤがその役割を与えられています。彼はペルシヤ王アルタクセルクセス1世(ロンギマヌス)の献酌官でした(ネヘミヤ1:11)。では、今日の聖書クイズを一つ、エジプトの王はファラオと呼ばれますが、もともとファラオは何を意味していたでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
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