ヤコブはエジプトに向けて出発した。総勢70名の大移動であった。ベエル・シェバに来たときに、彼はそこで神にいけにえをささげた。ベエル・シェバは、ヘブロンからエジプトに通じる南方面への道路と、アラバから地中海に至る北西方面への道路との合流点にある。かつてアブラハムが居を構え、イサクが自分の根拠地としたところである。ヤコブは、そこで、「父イサクの神にいけにえを献げた」とある。つまり彼は、先祖からの地境を動かすことになるかもしれないこの度について神の許可を求めようとしたのである。神は、ヤコブに夜の幻の中で答えられた。神は、「わたしは神、あなたの父の神である。恐れるな」という。エジプトに下ろうとするヤコブに、神は保証をお与えになった。いつしか神のみこころを中心とする生き方がヤコブの基本になっていた。かつて、同じ飢饉に際して、エジプトへ神の御心も聞かずに出ていったアブラハムとは異なる姿である(12:10)。
こうして神に従おうとするヨセフとヤコブが再会する。ヨセフは父に会うなり、父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けたとある。実に、長い間隙を埋める涙であったことだろう。他方父のヤコブは、ヨセフを抱きながら、神がヨセフに何をし、また自分に何をしてくれたのかを深く思わされていたことであろう。かつてヤコブは、最愛のヨセフに長子の特権を象徴する長服を着せていた。11人の兄弟の誰よりもヨセフに愛情を注ぎ、自分がしてやれる最善を与えていた。しかし、人間ができる最善は、神の最善にはとうてい及ばない。ヤコブがヨセフに着せてあげたものは「長子の長服」であったが、神がヨセフに着せてくださったのは、「エジプトの大臣」の装束であった。パロの指輪をはめ、亜麻布の衣服と金の首飾りを身にまとうヨセフ。おそらくヤコブは、ヨセフの大臣としての装束に身を固めたわが子を抱きながら、父親が子にしてやれることは、神がしてくださることに到底及ばないことを思わされたはずである。また、神が子を取られたのではなく、子を先に遣わしたこと、ヤコブの家族を憐れんで、ヤコブの家族とともにおられたことを深く諭されたことであろう。ヤコブの心には、深い充足感と希望が湧いてきたはずである。
思うことがある。子は、神からの授かり物であり、あくまでも預かり物、神のご計画に沿って育てていくものである。それは自分の所有物ではない。自分にとってよかれと思うもの、最善だと思うものを与えていく、それが子育てなのではない。神がこの子にどのような計画を持っておられるのか、そしてその子が、自分の思いを超えた神のご計画に従って、神の器として育っていくために、自分が神の御心に沿ってできることは何かを考えていくことである。となれば前途に未来のある子どもに期待するところは大きいが、自分の関りの中で、まず子どもに期待すべきことは、信仰や誠実さ、そして真実さを教え諭していくことなのだろう。
エジプトに着いたヤコブたちは、ゴシェンの地に住むことになった。そこはラメセスの地とも言われている(創世記47:11)が正確な位置は不明である。しかし、このような配慮が、外国にあって、イスラエル人を固有な存在として維持し、発展させていくことになる。実際、外国人を蔑視するエジプトに住むことは、イスラエル民族としての固有の意識を育て、雑婚によるエジプト人との同化を防ぎ民族的な純潔を守ることになり、さらには、宗教的にもエジプトの偶像崇拝から守ったからである。そして、イスラエルは外敵の脅威から守られながら、増え広がることができた。
「羊を飼う者はすべて、エジプト人に忌み嫌われている」(34節)これをエジプト人の民族的な感情を語っているとするならば、エジプト人にヒクソスの支配者たちについての苦い思い出があったため、とされる。ヒクソスというのは、「外国の支配者」を意味し、エジプト中王国が崩壊した後の混乱に乗じてエジプトの支配権を握った(BC1700-1550年)侵略者である。しかしヨセフの出来事がその後のこととするならば、ヨセフはパロの第二の車に乗ることもできなかったと思われる。むしろ、イスラエルが移り住んだ時代は、セム人としてのヨセフを重用し、家族をも歓迎することができた、同じセム系の支配者ヒクソス王朝の時代と考えた方がよいだろう。そしてこのヨセフのことばは、都会の住民が遊牧民に持つ古くからの感情や反感を言い表しているものなのだろう。つまりヨセフは、それを強調することで、馴染みのない都市の生活に家族を引きずり込んで、再び家族に破壊をもたらしたくない、という思いがあったのかもしれない。
ともあれ、神のなさる最善は、私たちの小手先の最善に遥かに勝る。今日も私たちの思いを超えた神の最善に期待し、希望を持って歩ませていただこう。