創世記5章

「アダムの歴史の記録」とある。系図であるが、このカタカナ名の羅列は、ユダヤ人には記憶されやすいように意図的に編纂されたもの、と思われる。というのも、11章にもセムの系図が出てくるが、アダムの系図と同様に10代でまとめられている。これは、マタイの系図で、省略されている王もいながら、3組14代の系図でまとめられているのと同じである。この系図にもいくつか、省略があるのだろう。だから、ここにあげられている名前と、年齢を加算していけば、創造から洪水までの年数が把握できるか、と言えばそうではない。それにしてもなぜ10代なのか。これが当時のバビロニヤの系図の書き方に似ているころからその系図を下敷きにしたと考える学者もいるが、よくわかっていない。
ともあれ、この系図の目的は、セツの家系がどのようにノアに至ったかを示し、さらにアダムの一生は930年、セツは912年、エノシュは905年・・・といずれも、信じがたい長命であることを語りながら、人間を死が支配している事実を示すことにある。
長命については、これらを文字通りにではなく、たとえば名前は個人ではなく一族つまり家計の寿命を表わすとか、当時の一年はより短いものであった、人間の成長の速度は今とは違っていた、とか、神秘数で書かれているとか、理性的に受けいれられるための解釈が試みられてきた。だが、あくまで、そういう事実があった、これらを文字通りに受け止めるべきものだ、と理解すべきものなのだろう。というのも次の6章において、神は人の一生を120年と定めており、そこに裁きの要素を入れられているとすれば、今の人間がそのように長命を保持しえないでいるのも、人間の堕落の故であることを言いたいためである。むしろ注目すべきは、既に述べたようにどんなに長命であろうと、また、その長命が今は短くされていようと、人間は死すべきものであった、死に支配されていた、という点である。人間に神の霊は永久に留まらない。「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る」(伝道者の書12:6)という人間の現実を物語っている。
 だが、それは、祝福でもある。確かに、永遠に生きることは、人間にとって幸せに思えることがあるかもしれないが、今の人間的な弱さを抱えたままで、永遠に生きるなら、それは不幸そのものである。神が人間を裁いて、人間の一生に限界を設けてくださったことが、この罪深く、弱い肉体の牢獄に閉じ込められた魂を解放する救いとなっている。死は永遠の命に至る門である、と言われるように、死もまた祝福なのだ。大切なのはその祝福を確実に自分のものとするために、死の門口をくぐる前に、十字架のイエスにおいて、神と和解し、神との関係を回復していることだろう。永遠の命は、生前の決断によって、手にすることのできる祝福である。
 さて創世記の著者は、すべての人間が死んでいく記録を綴りながら、「エノクの一生は、365年であった。エノクは神と共に歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった」(24節)と記し、人間を支配する死が、必ずしも絶対的なものではない救いを語っている。「神と共に歩んだ」は神との親密な交わりを描いている。それはアブラハムの生涯を思い起こさせ、ノアにつながる歩みである(6:9)。この箇所で、非常に印象に残る教会学校のメッセージがあったことを思い出す。こんな話だった。エノクは神と共に歩むことを喜び、その日もいつもながら、神と共に楽しい時を過ごしていた。時が経つのも忘れ、神と良き時を過ごすうちに、神が、エノクに、「私たちは随分遠くまで来てしまったから、今日は私の家に泊まっていきなさい」と、そのまま天に住み着いてしまった、というのである。なるほど、今生きているそのままに、天にたどり着くような歩みをしたいものだ。大切なのは、神と共に歩む時に、人間の死は、通過点となる。ターミナルではない。私たちは死ぬのではなく、別の場所でなおも生きていく。だから今のいのちが、そのまま御国につながっていく生き方をしたいものだ。
 最後に、レメクからノアが生まれたことに注目しよう。先に出てきたカインの子孫レメクは、すでに受けた打ち傷のために、鋭利な刃物で刺し殺す、過剰報復をするような人であった(4:23)。5章に出てくる二人目のレメクは、セツの子孫である。彼は、先のレメクと違って、神ののろいを素直に受け入れ、誠実に生きる人である。神は、私たち一人一人を固有の存在としてお造りになられた。そして私たちが神に対してどのような態度をとるか、それもまた人様々である。問題は、既に語ったように、私たちがいかに神と共に歩むか、ということにある。神を認め、神と積極的に歩むならば、神はその人をまた大事に取り扱われるのである。私たちの神に対する姿勢が問われるのであるから、今日も、まず聖書を開き、祈り、主にお従いする心を整えられることとしよう。
 なお5章は、一見なんの味気もない記録のように思われるものであるが、心して読むならば、鋭いメッセージがその中に掘り起こされるのである。

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