士師記15章 サムソンの復讐
<要約>
おはようございます。サムソンの個人的な問題がエスカレートし、民族的な対立の問題に発展した時に、サムソンに味方する者は一人もありませんでした。しかし、神が、サムソンに味方し、サムソンに勝利を与えてくださいます。こうして誰もがサムソンを士師と認めるようになるのです。立たせてくださるのも神であることを覚えたいものです。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.エスカレートするサムソンの問題
サムソンは、自分を裏切った妻の元に戻って来た。しかし彼女は別の男性の妻となっていた。サムソンはその怒りを、妻とその父親に向けるのではなく、ペリシテ人に向けた。しかも、ペリシテ人の麦畑に直接火を放つのではなく、わざわざジャッカルを三百匹捕えて、その尾と尾をつなぎ合わせて、二つの尾の間にたいまつを取りつけて、麦畑に放つという子供じみたやり方をしている。サムソンに仕返しができないペリシテ人は、ティムなの女と父を焼き殺し、サムソンはこれに対して再び報復を繰り返すのである。こうしてサムソンの妻をめぐる個人的な問題がエスカレートし、民族的な対立へと発展していった。
「あなたはペリシテ人が私たちの支配者であることを知らないのか」(11節)。いつしか、カナンを征服したユダヤ人たちは、その地でペリシテに支配されるようになっていた。カナンの地の征服者であったユダヤ人は、ペリシテの支配に安住し、事が起こることを好まなかった。むしろ、ペリシテに攻められそうになったユダの人々は、勝ち目のない争いを避けて、平和裏な解決を求めて、サムソンを縛って引き渡そうとするのである。
2.サムソンに味方する神
しかし、神はペリシテ人の手にあわや陥りそうになったサムソンに霊を注ぎ、一人で戦うサムソンに勝利を与えられるのである。サムソンは、ろばのあご骨で、1000人を打ち殺したとある。神は、サムソンに味方し、奇跡的な勝利を与えられた。その結果、サムソンは、士師として認められるようになり、こうして、サムソンの20年間のさばきつかさとしての生涯が始まり、ペリシテ人はイスラエルを攻めることができなかった。
この物語に教えられることは、神がサムソンに味方し、サムソン一人を用いて勝利を与えられたことである。考えてみれば、どんな働きも一人の人が重荷を負わされることによって始まって行くものである。一人では何もできないと思う事が多いものだろう。しかし、主の霊が激しくくだることがある。神の前に一人であろうと、大勢であろうと問題ではない。神の業に与る勝利がある。
3.サムソンを助ける神
次にサムソンは、「二十年間、イスラエルを裁いた」(20節)という。アビメレクとエフタがサムソンと同時代の人であったとされるが、彼らに交流があったかどうか、また、サムソンの政治がどのようなものであったかは、何も分からない。むしろそれは、サムソンの存在の故に、ペリシテ人がイスラエルに攻めて来なかったというだけのことなのかもしれない。イスラエルがダビデ、ソロモンによって、国家としての体をなし、カナンの地で本当の繁栄を得て行くのは、まだ後のことである。
そのような意味では、いつでも私たちは神のご計画の全容をよく知らず、その全容の実現については全く無知であったりする。そしてむしろ「のどが渇いて死にそうだ」とあまりにも小さな求めに終始する日々を送っているだけである。しかし神は、そんな私たちの求めにも丁寧に応えてくださる。エン・ハ・コレ、つまり「呼ばわる者の泉」は、私たちにも開かれる。そうであればこそ神の御心を探る祈りをささげ、神に語られ、神の御心に生きる歩みをさせていただきたいものである。