士師記4章

士師記4章 デボラとバラク
<要約>
おはようございます。今日の箇所は、ハツォルを巡って考古学的な議論の深いところです。しかし、大切なのは、エピソードが伝えているメッセージです。弱く、臆病であり、全く無力ですらあるバラクが、神にすがる信仰によって勝利していく姿に教えられます。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.ハツォルを巡る聖書記述の矛盾
 ハツォルは、イスラエルの北、ガリラヤ湖とフーレ湖に挟まれた地であり、カナン王国の首都であった。すでにこの地は、ヨシュアによって完全に破壊され、ハツォルの王ヤビンも、滅びたことになっている(ヨシュア記11:1)。それなのに、それから100年後のデボラの時代に、再びカナンの王ヤビンが登場する。この矛盾をどう考えるか、イガエル・ヤディン『ハツォール・聖書の語る巨大な城塞都市の再発見』(山本書店)の考古学的研究が、実に緻密な発掘調査結果をもとに、解明していて面白い。彼によれば、ヨシュア記はまさに史実であり、その破壊層の証拠も明確である、と。そして、その後の地層は、ソロモンの再建まで(1列王9:15)城壁のある町は建てられなかったことを示している、という。だから、士師記の記述は、ヨシュア記の影響を受けたものに過ぎない、というわけである。
聖書の記述どおりの理解でいけば、ヤビンは世襲制で名乗られた名、カナン王国の復活を象徴する意図をもって引き合いに出されたのかもしれず、この時の本陣がハツォルであるとも記されてもいない。シセラが住んでいたハロシェテ・ハゴイムは、戦場に近いシャロン平原のキション川の近辺であったのではないか、と考えられている。そこでデボラの戦いも史実と言うべきであろうが、ヤビンやシセラという固有名詞の使い方は、いささか象徴的な意味があると理解してよいのだろう。
2.キション川で起こった神の業
 ともあれイスラエル人にとって、最新鋭の戦車を900台も揃えた敵軍をどのように制圧すべきか、それは極めて難題であった。だが、神はこの戦いをイスラエルの勝利とすることを約束してくださった。そして、神はシセラとそのすべての戦車とすべての陣営の者をバラクの前に剣の刃でかき乱したとされる。実際には、キション川は小さな川であるが、冬の雨季には容易に氾濫する。川の勾配が緩慢で、アコの平野への出口が非常に狭くなっているため、一端氾濫すると水がなかなか引かず、平地はいきおい沼沢地になる。こうして雨季には交通の妨げになる場であった。だからこの時の暴風雨は、まさに900台の戦車を無用の長物とする神風であった(士師5:4、21)。1799年ナポレオンがタボル山の戦いでトルコ軍を破った時にも同じことが起こったとされている。こうしてシセラの陣営の者はみな剣の刃に倒され、残された者はひとりもない、という結果になった。神が約束されたとおりであった。
3.信仰の人バラク
 またシセラは、デボラが予告したとおり、一人の女の手によって殺されてしまった。当時、天幕を張るのは女性の仕事であったから、鉄のくいと槌の扱いには慣れていたという。つまりこの女性は、特別に訓練を要する暗殺を成し遂げたわけではなかった。ただこれもエフデと同様にだまし討ちの感がぬぐえない。もちろん、聖書はそうした行為を肯定しているわけではなく、起こった事実を淡々と述べているに過ぎない。
ともあれヘブル11:32には、バラクが信仰の人として数え上げられている。神のみこころがなされるように、バラクを見出し、バラクを助けたのはデボラであるが、彼女の名前は数えられていない。また、実際にシセラの息の根を止めたのは、ケニ人ヘベルの妻ヤエルであるが、ヤエルもまた忘れられている。大切なことは、自然災害と女が普通にできることで勝利した、この戦いが、バラクの信仰による応答をもって機能した点である。バラクに何か特別な力やリーダーシップがあったわけではない。むしろ彼は依存的であり、引っ込み思案であり、臆病者のような印象すら受ける存在である。そしてここまで来たら、神の約束にすがるほかない、という信仰によって応じるバラクに、神が必要な助けを皆揃えてくださった、というのがこのエピソードが物語っているところなのだろう。弱く小さな臆病者の信仰と従順が、まず20年は動かなかった事柄が大きく変えていくのである。崩すことが絶対に不可能だと思われたことが、崩されていく。それは、まさに神の召しに応じる、信仰と従順の歩みによるのだ。

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