士師7章 ヨルダン川西岸での戦い(7:1-8:3)
<要約>
おはようございます。ギデオンの物語はいつ読んでも、大いに励まされます。聖書通読の重要さは、こうしたエピソードが、人生の必要時に思い出されることです。人生の様々な場面で、ヨセフ物語が思いこされ、アブラハムやロトのエピソードが思い出され、そしてギデオンのエピソードが思い出され、神の語りかけとして響き、自分が直面している課題を乗り越える力とさせられていくことです。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.神が明かされた戦略1(一塊の精鋭を整える)
ギデオンは、ミディアン人と対戦するため、ギルボア山の北側の山麓にあるハロデの泉に兵力を結集した。一方ミディアン人、アマレク人、東の人々の連合軍は、五キロほど離れた、モレの山沿いの谷(平野)にあるエスドラエロンの平原に陣を構えた。それはちょうどイスラエルが、敵の連合軍を上から見下ろす布陣である。初夏の早朝のことであった。
らくだ部隊で固められたミディアン連合軍は、兵力135,000、対するギデオンの兵力は、32,000である。しかし神は、そこでさらなる兵力の削減を求めた。まず戦力にならない「恐れおののく者」は家に帰された。兵力は10,000となった。次にテストによって更に間引きが行われた。ハロデの泉で水を飲む際に、「犬がなめるように、舌で水をなめる者、膝をついて水を飲んだ者」ではなく「手で水をすすった者」だけが残された。それは、①手で水をすすった者は、不意の攻撃に備える注意力がある、②膝をついて水を飲むのは、敵前では命取りになる不注意な行為であり、戦力にはならない、③膝をつく行為は、バアルに仕える偶像礼拝の習慣を暗示する、などと考えられたからである。兵力は300に絞られた。それはまさに「いなごのように」また「海辺の砂のように」見えたミディアン連合軍に、パンのかたまりが一つ転がり込むことに例えられるものであった(13節)。
300の兵力で135,000の陣営に攻め下るのは、(9節)無謀そのものである。しかし神の命令は、どんなことについても、信仰を増し加えるチャレンジとして、超常識的に受け止める必要がある。全ての勝利は神から与えられるものだからである。
2.神の戦略2(恐れを克服する)
しかしどのように勝つのか。主は、敵陣に下りその様子を偵察し、彼らが何を話しているのかを聞くように命じられた。それは、敵陣の戦力や配置を知り、作戦を練るための偵察ではなく、ギデオンの心によぎる恐れを、ひとりの者の夢とその解き明かしを聞くことによって解消するためであった。なお夢の中の大麦のパンは、貧農のイスラエルを指し、天幕は遊牧民のミディアンを指す。すでに敵はギデオンとの戦いに恐れを抱いていた。
ギデオンは、この偵察により勇気を得、300人の兵士を奮い立たせていく。角笛とたいまつに加え、壺が用意された。壺は、敵に近づくまでたいまつを隠し、近づいたところで打ち砕き、大きな音を立てるために用意された。また300人の兵士たちを三分した。真夜中の夜番が交代する頃、つまり午後10時に、ギデオンたちは、陣営の端に到着した。彼らは、角笛を吹き鳴らし、壺を打ち壊し、「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫び、宿営に乱入した。ミディアン連合軍は、突然の不意打ちに大混乱、同士打ちを始める。生き残った敵の大部分は、モレ山のふもとから、ヨルダン川沿いに南下して敗走し、ミディアン人はことごとく追撃された。神への完全な信頼と、神の御業による奇跡的な大勝利である。まさに、「大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない」(1サムエル14:6)。神が私たちの味方になってくださるかが勝負である。恐怖におののいた心では戦うことはできない。たとえ勝ち目がない戦いであっても、主が勝利を約束されたものは、そのように導かれる。主に信頼し、主の勝利に与る者となろう。