3章 ダビデ王の家族
<要約>
おはようございます。本日の箇所は、ダビデ王の家族の系図、ことに17節以降は、捕囚帰還後の系図です。ということは、この書が捕囚帰還後に書かれたことは明らかで、そこから列王記との書かれた意図の違いということも考えられる必要があるでしょう。ですから系図もそれなりに取捨選択されて編集されて仕上げられている部分があり、そのような点に注目して意図を掴み取りたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.ダビデの家族
著者は、ダビデの子孫について記録するが、それは、大きく三つのグループに分けられている(1-9節)。第一にヘブロン時代に生まれた6人の息子たち(1-4節)。次に、バテ・シュア(バテ・シェバ)によって生まれた4人の息子たち(5節)、最後に、エルサレム時代に、バテ・シュア以外の妻たちが生んだ9人の息子たちである(6-8節)。2サムエル記のリストと比較すると、ダビデの子らには、いくつかの追加があり、さらに、ダビデの王位を継承したソロモンは意外にもバテ・シュアの四番目の息子とされている(2サムエル12:24-25)。
次に、ソロモン時代から捕囚期までの歴代の王の名が列記される(10-16節)。名前を読んでいくと、列王記とは表記上の違いがある。アビヤはアビヤム、アタルヤは省略され(2列王11章)、ウジヤはアザルヤ(12節、2列王15:1-7)、16節のゼデキヤは、不注意な繰り返し、つまり写本上の間違いであるとされる。
2.捕囚帰還後のダビデの系譜
17節以降は、捕囚帰還後のダビデ家の系譜、エコヌヤからエルヨエナイの子らについて。シェアルティエル(恐らくサラテル:マタイ1:12)とゼルバベル以外、新約聖書にあるイエスの系図で見るような名は、出て来ない。ゼルバベルの父は、ペダヤと呼ばれているが(19節)、他の箇所ではシェアルティエルとなっている(エズラ3:2、ハガイ1:1、マタイ1:12等)。ペダヤは、シァルティエルと同一人物ではなく、シェアルティエルの息子であったのが、早く死んだので家長とされた、と考えるのがよい。21節以降についても議論のあるところだが、シェカヌヤの二人の息子シェマヤ(ネヘミヤ3:29)とハトシュ(エズラ8:2)の記述は、ゼルバベルよりおよそ65-75年後の人物となり、ここも何らかの形でゼルバベルの系譜を示すものなのだろう。つまり、歴代誌の著者は、2章はユダ族、3章はユダ族の中のダビデ王の系譜を書き連ね、捕囚帰還民の指導者ゼルバベルの体制をよしとしているようである。それは、ゼルバベルが、捕囚帰還民約4万2千人のリーダーであったが、彼はダビデ王家直系の子孫として名を連ねていたためにリーダーとされたに過ぎず、彼の行政能力に対しては、ゼカリヤやハガイ等の預言書から推察して、極めて弱かった、と考えられており、彼の体制を強化する目的があったからだとされる。
3.礼拝の民の再興
しかし、もちろん、そうした政治的理由を示すことが歴代誌の中心ではない。既に述べたように、この書の目的は礼拝の民の再興にある。そのような視点から、これらの系図を見ていくと、その名前の羅列の中に様々な出来事を思い浮かべさせられる。長子アムノンの近親姦、三男アブシャロムの反逆、四男アドニヤの自滅、そしてこれほどの多くの妻を持つダビデ自身の問題、この系図は、ゼルバベルをダビデ王家の継承者と位置付けても、実は不名誉な汚点だらけの系図である。またこれほど多くの子がありながら、ソロモンが王位を継承していく点にも注目させられる。アブシャロムの死後、アドニヤが王位継承争いを起こした際に、ソロモンの王位継承は期待されてはいなかった(1列王2:15)。しかし王位は主のみこころによってソロモンのものとされていく。
つまりこの系図は、主のみこころによって弱き者が立てられ、強き者が退けられてきたことを伝えている。神の選びは、人間が考えるようなものではなく、全く恵みによる。そういう意味で、私たちが神に数えられる働きをするとなれば、それは、私たちに評価される何かがあるからではなく、むしろゼルバベルのように、評価されるものを何一つ持たないにも関わらず、である。これらの系図は、イスラエルの歴史とダビデの家系に働いた神の恵みを伝えている。神の恵みによって歩ませていただこう。